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公立小学校教師を辞めて専業主婦になった話|「給料泥棒」発言・モンペ・査定の闇で限界きた本音

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「給料泥棒なのでは?」

担任していたクラスの保護者から、面と向かってそう言われたことがあります。

夏休みのある日、参観日でもなく、何かのトラブルがあったわけでもなく、ただ立ち話の中で。その保護者は冗談めかして笑っていたけれど、私の心はそこで完全に折れてしまいました。

これは、公立小学校の教員を10年勤めて、最後は体調を崩して退職し、専業主婦になった私の話です。

📌 体験者プロフィール

年代・性別:30代後半・女性

職業:公立小学校教員(10年勤続)→退職→専業主婦

地域:地方都市

勤続期間:10年(うちコロナ禍2年含む)

※プライバシー保護のため、固有名詞や一部の細部は変更しています。体験談の本質はそのまま掲載しています。

「給料泥棒なのでは?」と言われた日のこと

私が教員を辞めると決めた一番の理由は、給料が安い割に仕事内容が厳しすぎたことです。

もちろん、教員になる前から、ある程度の覚悟はしていました。教員の世界が楽な仕事じゃないことくらいは、わかっているつもりでした。私は元々精神的にもタフな方で、多少のことは耐えられると自信もあったのです。

でも、現実はそんな私の想像をはるかに超えていました。

世間ではよく「学校の先生は休みが多くていいよね」と言われます。とくに夏休みになると、子どもたちが2か月近く休むので、教員も同じように休んでいると勘違いする人が多いのではないでしょうか。

実際に、ある夏の日、私が担任していた子どもの保護者から、こんなことを言われたことがあります。

「先生って、夏休みは何してるの?給料泥棒なのでは?」

冗談めかした口調でしたが、聞いている私の中で何かが音を立てて崩れていきました。あの日のことは、今でも忘れられません。

夏休みが「休み」だと思っているのは保護者だけ

子どもの夏休み期間中、私たち教員は実際に何をしているのか。

研修、出張、会議。子どもから提出される自由研究や読書感想文のチェック。2学期の授業準備。担当する委員会の資料作成。学年で取り組む行事の事前打ち合わせ。

正直なところ、普通に授業をしている期間のほうが、よほど楽かもしれません。授業中は子どもたちと向き合っていればいいだけで、行政的な書類仕事や対外的な打ち合わせはむしろ普段より少ないからです。

夏休みは「教員の繁忙期」と言ってもいいくらいでした。

それでも、世間から見れば「先生は夏休みでいいよね」になる。教員という仕事の労働実態は、外からは本当に見えにくいのだと、その時に痛感しました。

コロナ対応で増えた、誰にも見えない労働

私が辞める直前の数年間は、ちょうど新型コロナウイルスが蔓延していた時期と重なります。

子どもたちの毎朝の健康チェック、検温記録の管理、消毒作業、リモート授業の準備、配信用機材のセッティング、保護者への連絡対応、欠席児童へのフォロー、対面授業を希望する子のための個別準備。

何もかもが「通常業務にプラスして」のしかかってきました。

おまけに、万が一クラスでクラスターが発生すれば、すぐに批判の矢面に立たされます。幸い私のクラスではクラスターは起きませんでしたが、いつも保護者と教育委員会からのプレッシャーに怯えながら、毎日教室に向かっていました。

校長先生や教頭先生は「困ったらいつでも相談してね」と言ってくれるのですが、実際にトラブルが起きれば、対応するのはすべて担任です。あの「相談してね」は、結局のところ社交辞令だったのだなと、後になってからわかりました。

運動会の集合写真でクレーム、モンスターペアレントという脅威

教員生活の中で、私を本当に消耗させたのが、いわゆるモンスターペアレントの存在でした。

自分の子どもが可愛くて仕方ないという気持ちは、私にも理解できます。私自身も今は母親ですから、わが子への愛情の深さは身に染みて分かります。

でも、一部の保護者の言動は、それを大きく超えていました。

端的に言うと、自分の子どもがクラスの中心にいないと気が済まないのです。クラスの編成は概ね40人前後、その全員に分け隔てなく接するのが教員の仕事のはずなのに、まるで個別指導の塾と勘違いしているような要求が次々と飛んできました。

ある年の運動会で、クラス全員の集合写真を撮影しました。希望者だけに焼き増しして配るつもりで、何の他意もなく真ん中に背の小さい子を並べただけだったのですが——

「なぜ、うちの子が写真の真ん中じゃないの?」

そう電話をかけてきた保護者がいました。

ただただ、呆れるしかありませんでした。

集合写真の構図にまで保護者がクレームをつけてくる時代になっていたのです。

校長による査定という、おかしな仕組み

モンスターペアレントもしんどかったですが、教員同士の人間関係にも、私はずいぶん消耗しました。

意外と知られていないことかもしれませんが、教員の人事査定は基本的に校長先生が行います。一般企業のサラリーマンと同じように、教員にも昇給や昇格があり、そのために忖度が働く仕組みになっているのです。

陰では校長への不満や批判を漏らしていた同僚が、いざ校長の前に行くとニコニコと愛想を振りまく——そんな光景を、嫌というほど見てきました。

教育者たるものが、人の顔色を伺うようでいいのか。

そんな素朴な疑問を抱えたまま、私は10年間教員を続けていました。

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「俺に逆らったらどうなるかわかってるな」校長の高圧的な顔

おかしな査定権限を握った校長は、しばしばおかしなことをしでかします。

部下である教員に対して、露骨に高圧的に振る舞うのです。

「俺に逆らったらどうなるかわかってるな」

そう言わんばかりの態度が、ちょっとした朝の挨拶や、会議中の発言の節々に滲んでいました。直接そう口に出されたわけではありません。でも、空気として確実に伝わってくるのです。

私は教育者としての道を歩むことだけに集中したかったので、校長への過度な遠慮はあえてしませんでした。媚びることもなく、ただ淡々と授業に向き合うことを選びました。

その結果、私は校長に「扱いにくい教員」とみなされたのだと思います。

夏休み中の研修担当の割り当てが妙に多くなったり、面倒な保護者対応がなぜか私のクラスに集中したり。直接の報復ではないにせよ、じわじわと「逆らった人間にはこうなる」という空気が職場全体に流れていました。

体調を崩した日、教員生活は終わった

子どもたちに愛情を注げば、子どもたちはちゃんと応えてくれます。

それだけは、10年間の教員生活の中で唯一私が確信できたことでした。だからこそ、私もできる限りの力を注いで、目の前の子どもたちと向き合い続けていました。

でも、モンスターペアレントからの執拗な要求、教員同士の不毛な議論や軋轢、校長の高圧的な振る舞い——それらが少しずつ私の中に積み重なっていきました。

そして、ある朝、起き上がれなくなりました。

身体が鉛のように重くて、教室に向かう気力がどうしても湧いてこない。それまで「精神的にタフだ」と思っていた自分が、こんなふうに壊れる日が来るとは、まったく想像していませんでした。

医師には休職を勧められましたが、しばらく考えた末に、私は退職を選びました。

教育者としての道は、ここで一度終わりにしよう。そう決めました。

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「先生、辞めないで」クラスの子が残してくれた言葉

退職を決めて、私はクラスの子どもたちに別れの挨拶をしました。

教員生活で得たもの、失ったもの、紆余曲折は色々ありましたが、退職の日に何より嬉しかったのは、担任していたクラスの子どもたちから掛けてもらった言葉でした。

「先生、辞めないで」

「元気になったら、また戻ってきて」

その言葉を聞いた瞬間、ずっと張り詰めていた糸が緩んで、涙が止まらなくなりました。

教員になってよかった、と心の底から思った瞬間でした。

幼少の頃から憧れていた職業に就けたこと、子どもたちと真剣に向き合えた時間があったことは、間違いなく私の人生の財産です。10年という年月は決して無駄ではなかったと、今でも思います。

これから教員を目指す人へ、伝えたいこと

退職してからは、専業主婦として家のことをやりながら、YouTubeを見たり、SNSで離れた友人とやり取りしたり、日々のささやかな出来事を文章に書き留めたりして過ごしています。

教員時代と比べると、自分のための時間がこんなにあるのかと驚くほどです。

専業主婦という選択にも、もちろん葛藤はありました。「あれだけ憧れて目指した教員を、簡単に辞めていいのか」「教育者としての自分が、ここで終わってしまうのではないか」。そんな思いに何度もぶつかりました。

でも、今は後悔していません。

人生は教員という一つの肩書きだけで決まるものではない。そう思えるようになりました。

これから教員を目指す方に伝えたいのは、教員という仕事は本当に大変な仕事だということです。給料や休日の表面だけでは絶対に分からない、見えない労働がたくさんあります。

それでも、子どもたちと向き合える時間そのものは、何にも代えがたい価値があります。

もし教員という道を選ぶなら、自分の限界を見極める力を持っておくこと。そして、限界が来たときに「辞めてもいい」と自分を許せる柔軟さを持っておくこと。それだけは、これから教員を目指す人に、強く伝えたいと思います。

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編集部より

この体験談で心臓を掴むのは、辞める引き金が大事件ではなく「給料泥棒なのでは?」という立ち話の一言だったことです。夏休みが繁忙期であること、コロナ対応で見えない労働が倍増したこと——教員の労働は外からほぼ見えず、その無理解が冗談の形で本人を刺します。さらに見落とせないのは、「精神的にタフだ」と自負していた人が、ある朝起き上がれなくなった点です。タフだという自己評価は、限界のサインを「まだ大丈夫」と上書きしてしまう。そして「先生、辞めないで」という言葉が示すように、辞める理由(職場)と続けたい理由(子ども)は、最後まで別々に存在していました。

子どもと向き合う時間が好きなことと、その職場でこれ以上働けないことは、両立します。「タフだから大丈夫」という自負こそ一番危ういサインで、起き上がれなくなる前に離れる選択は、逃げではなく、自分の人生を取り戻すための判断です。

困った時の選択肢

【心と体が限界に近く、職場から離れたい先生へ】

「辞めたいと言い出せない」「校長や同僚と顔を合わせるのがつらい」という段階まで来ているなら、自分で退職を切り出さずに手続きを進められる、女性向けの退職代行という選択肢があります。心身が限界のときほど、交渉の負担を外に預けてもいいはずです。

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