小学校講師2年半で見た現場のリアル|非常勤・常勤・田舎と都会の違いを語る

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私は36歳で小学校の講師として働き始めました。

非常勤講師として半年、その後常勤講師として2年。合計2年半の間に、2つの異なる小学校で働く経験をしました。1つは都市部の小学校、もう1つは田舎の母校。同じ「小学校の講師」という肩書きでも、勤務先によって労働環境も人間関係もまったく違うことを、肌で実感した期間でした。

これから書くのは、その2年半で見た小学校現場のリアルです。非常勤と常勤の待遇の違い、田舎と都会の小学校文化の違い、そして体育専科として経験した教育現場の事故。これから教員を目指す人、講師として働くことを検討している人、すでに講師として働いていて将来を悩んでいる人に、何かのヒントになれば嬉しいです。

非常勤講師としてのスタート、まずは待遇の話

最初に、非常勤講師の待遇について整理しておきます。これを知らずに飛び込むと、生活設計で苦労します。

私の地方自治体では、非常勤講師には2種類の契約形態がありました。

  • 週20時間勤務契約
  • 週30時間勤務契約

時給換算でだいたい2000円程度。一見、悪くなさそうに見えますよね。

ただ、ここに交通費の上限という落とし穴があります。私の自治体では、交通費の支給上限が月1万2000円程度。これを超えた分は自己負担です。

私は勤務する小学校から距離があり、車で通おうとするとガソリン代で赤字になるレベルでした。仕方なく、バイクで通っていました。雨の日も雪の日も、バイクで片道40分。これも非常勤講師の現実の一部です。

10月、いきなり「人手不足の最前線」に投入される

私が非常勤講師として最初に勤務したのは、10月の秋のことでした。

教育委員会に講師登録に行くと、担当者からこう言われました。

「とにかく先生が足りなくて困っています」

そして、人手が足りない複数の小学校の中から、最も状況が深刻な学校に派遣されることになりました。

最初は「少人数指導」というポジションでした。これは、担任の先生が算数を教えている横で、理解の遅い子をフォローする補助的な役割です。

私が主に入っていたのは、4年生のあるクラス。そして、このクラスがその小学校で最も問題を抱えるクラスだったのです。

暴力で担任が2回交代したクラス

そのクラスには、発達障害を抱える男の子がいました。

少しでも注意をすると、彼は暴れ出します。机を蹴る、物を投げる、そして担任の先生に噛みつく

担任を務めていた女性の先生は、日常的に脚にあざを作っていました。膝の上、太ももの上、ふくらはぎ。あちこちに紫色のあざが広がっていて、それが新しいあざと古いあざで重なって見えました。

私が見た限り、その先生は本当に努力していました。穏やかに話しかけ、休み時間にも個別対応をし、保護者とも何度も面談していました。

それでも、年内に担任が2回交代しました。

最初の女性の先生は、心身ともに限界が来て退職。次に来た男性の先生も、数週間で異動希望を出して別校に。

最終的に、教頭先生が担任を兼任せざるを得ない状況になりました。

非常勤講師にできることの限界

教頭先生が担任になった時点で、私は校長先生に呼ばれて「教科指導に専念してほしい」と言われました。

非常勤講師は、契約上、担任を持つことができません。だから、私が担当できるのは「教える」ことだけ。

それでも、私は4年生のあのクラスで、算数・社会・国語の3教科を教えていました。毎時間、緊張感の中で授業をする生活です。発達障害の男の子はもちろん教室にいるので、いつ何が起こるか分からない。

「今日はどうか何も起きませんように」と祈りながら教室に入る日々でした。

救いだった同僚の先生たち

ただ、この最初の小学校で本当にありがたかったのは、先生方の人間関係でした。

子供たちの状況は厳しかったのですが、先生方が本当に素晴らしい人ばかりでした。

朝、職員室に入ると、みなさんが元気な声で挨拶してくれます。「おはようございます!」「今日も頑張りましょうね」と笑顔で迎えてくれる。

私は36歳で初めて教員になったので、「自分にこんな仕事ができるのだろうか」と不安でいっぱいでした。でも、校長先生も周りの先生も、たくさんの励ましの言葉をかけてくれました。

「最初は誰でも大変だから」 「あなたは丁寧に教えてくれて助かるよ」 「困ったらいつでも相談してね」

この言葉に、何度救われたか分かりません。

子供たちのケアは大変でしたが、職場の雰囲気が温かかったおかげで、半年間なんとか乗り切ることができました。先生方には今でも心から感謝しています。

常勤講師として、母校の小学校へ

非常勤講師の任期が終わったあと、今度は常勤講師として別の小学校に採用されることになりました。

しかも、その小学校は私の母校でした。

常勤講師の待遇は、非常勤の比ではありません。

年収:約400万円(経験考慮の加算あり)

年休:年20日付与

社会保険:加入

ボーナス:あり

退職金:あり

私は36歳で教員になったので、それまでの社会人経験を考慮してもらえて、最初から少し高めの給与でスタートできました。

担任ではなかったので空き時間も多く、年休もしっかり取れました。給料と休みの面では、本当に満足できる職場だったのです。

同じく私立小学校で教員として働いた末に、IT業界へ転職した元教師の体験談も、こちらの記事で紹介しています。 私立小学校教師の地獄|模型作りで深夜帰宅、サビ残5年で限界きて辞めた話

でも、この学校で本当に苦しかったのは「同僚との人間関係」だった

問題は、子供ではなく、先生方の人間関係でした。

最初の小学校とは、まさに正反対。子供たちは本当にいい子ばかりで、授業も穏やかに進められる。担任の先生方も、子供への熱意は持っている。

でも、先生同士の関係性が冷たいのです。

朝、職員室に入っても、挨拶を返してくれない先生がいる。話しかけても、必要最低限の返事しかしない。複数人で話している中に入ろうとすると、急に話が止まる。

私は「自分が新参者だから」と思って、率先して笑顔で挨拶し、いろんな先生に積極的に話しかけ、人間関係を作る努力を重ねました。

それでも、最初の小学校で感じたような温かさを感じることは、最後までありませんでした。

田舎の小学校特有の「閉鎖性」

母校で2年間働いて気づいたのは、田舎の小学校特有の閉鎖性でした。

本来、小学校の先生は転勤を繰り返して、いろんな学校で経験を積むものです。でも、田舎だと、そもそも校区内の小学校の数が限られています。

5校ほどしかない校区を、何十年もかけてグルグル回っている。だから、いつも同じ顔ぶれが同僚として現れます。

「あの先生、また同じ学校に戻ってきたんだ」 「20年前に一緒だった〇〇先生と再会だね」

こういう会話が当たり前で、教員間の人間関係は長年にわたるしがらみが前提になっています。新参者が入っていくのは、本当に難しい世界でした。

私の最初の小学校は都市部にあって、たくさんの小学校があり、人の出入りが多い環境でした。だから、先生たちも保護者たちもコミュニケーション能力が高く、新参者にもオープンに接してくれた。

これは小学校に限った話ではなく、田舎と都会の文化の違いそのものなのかもしれません。

田舎の学校特有のブラックさは、中学校の現場でも同じようです。同じく地方の公立中学校で2年間勤めた末に退職した元教員の体験談も、こちらの記事で紹介しています。 田舎公立中学校2年で退職|1日14時間労働とお酌強制の地方ブラック実態

体育専科という役職

母校での担当も、なかなか珍しいものでした。

最初の1学期は、非常勤時代と同じく算数の少人数指導。半年後、妊娠していた先生が産休に入ったため、内部異動があり、体育専科という役職に就くことになりました。

体育専科は、各学年の体育の授業を専門で担当する先生です。担任は持たず、ひたすら体育を教える。

授業時間自体は意外と少なく、残業はほとんどありません。

学校の先生の残業の多くは、担任業務から発生します。連絡帳のチェック、保護者対応、学級事務、行事準備。これらは担任を持っていない教員には基本的に発生しません。

担任以外で、管理職でもなければ、早めに帰れるポジションだと思います。「教員はみんな残業地獄」というイメージは、半分は当たっていて半分は外れています。

ただし、体育の時間に起きた重大事故

体育専科として働いていて、私が経験した最大の問題が体育の時間の事故でした。

主に低学年と中学年を教えていたのですが、この年齢の子供たちは体がまだできていません。話も集中して聞けない子が多く、ハプニングは日常茶飯事でした。

ある日、3年生の体育の授業で、走っていた子が体育館の壁に勢いよくタッチして骨折しました。

「タッチしてください」という指示自体は、何も特別なことではありません。普通の運動。それで骨が折れてしまう子がいる。子供の体は、想像以上にもろいのです。

そうなると、もちろん私の責任になります。

担任との人間関係が「事故処理」を地獄にする

体育の事故が起きたとき、その後の処理を進めるためには、該当児童の担任の先生との連携が不可欠です。

保護者への連絡、医療機関への対応、学校管理下事故の報告書作成、復帰までのフォロー。すべての段階で担任の協力が必要になります。

ここで、人間関係の取れていない担任だと、状況は一気に厄介になります。

「体育の先生が見てなかったから」 「もっと安全な授業構成にできたんじゃないの」 「うちのクラスの子だけが怪我をするのは何でだろう」

直接的な非難はしないものの、職員会議で微妙に冷たい視線を向けられたり、保護者面談に同席を頼んだら断られたり、報告書作成で必要な情報をなかなか教えてもらえなかったり。

事故そのものよりも、事故後の処理で消耗することの方が、精神的にきつい場面が何度もありました。

これが最初の小学校だったら、きっと違っていたと思います。「大変だったね」「一緒に対応しましょう」と先生方が言ってくれる職場なら、事故も乗り越えやすい。

人間関係の質が、教員の仕事の質を大きく左右することを、痛感した経験でした。

講師経験を経て分かったこと

2年半の講師経験を経て、私が学んだことを最後に書いておきます。

①勤務先によって、教員の仕事は全然違う

「教員の仕事はこうだ」と一括りで語ることは、実は不可能です。子供の状況、同僚の人間関係、担当する役職、田舎か都会か。これらの組み合わせで、まったく違う仕事になります。

②非常勤と常勤は、別の職業と思った方がいい

待遇、責任、人間関係への組み込まれ方、すべてが違います。「とりあえず非常勤から始めて常勤を目指す」という人もいますが、向き不向きも違うので、自分に合うほうを選ぶべきです。

③田舎の小学校の閉鎖性は本物

田舎の母校に戻る、という選択は美しい響きがありますが、職場としては都会の小学校とは別物です。新参者として入る覚悟が必要です。

④担任以外の道もある

体育専科のように、担任を持たない教員ポジションもあります。残業も少なく、専門性を発揮できる。担任業務の負担が辛い人には、検討に値する選択肢です。

⑤同僚との人間関係が、すべてを決める

子供が大変でも、同僚が温かければ乗り越えられる。子供がいい子でも、同僚が冷たいと消耗する。職場選びは、教員の人間関係を最優先にすべきだと、私は強く感じています。

これから講師として働く人がいたら、「どの学校で働くか」を慎重に選んでください。学校の雰囲気は、見学に行くか、現役の先生に話を聞くかすれば、ある程度見えてきます。

自分が長く健康に働ける場所を選ぶこと。これが、教員人生を続けるための一番のコツだと、2年半の経験から私は確信しています。

同僚との人間関係に苦しんだのは私だけではありません。新卒でコロナ禍に公立小学校教員として着任し、上司や同僚からの否定の連続で1年4ヶ月で退職した方の体験談には、「子どもには優しいのに大人には冷たい」教師の矛盾が綴られていて、公立小学校の人間関係の根深さがよく分かります。

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