大学を卒業して、僕は小学校教師になりました。
正直に言うと、強い志があったわけじゃありません。「とりあえず教師でもなるか」という、今思えばかなり軽い気持ちで。
それでも採用されたのが、中学受験に特化した私立小学校。これが、僕の20代後半を地獄に変えた職場でした。
最初は「私立だしホワイトかな」くらいに思っていました。でも、中学受験専門の私立小学校って、普通の公立小学校とはまったくの別物なんです。授業内容のレベルが違いすぎて、教える側も常に勉強し続けないとついていけない。
気がついたら毎日深夜帰宅。休みは採点で潰れて、5年で僕は教師を辞めることになりました。
これから書くのは、そんな私立小学校教師時代の本音です。
📌 体験者プロフィール
・年代・性別:男性(体験当時20代)
・業界・職種:私立小学校教師(中学受験特化校)
・在籍期間:5年
・退職状況:退職済み(現在はIT業界に転職)
・体験形態:実体験ベース
※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。
普通の小学校とはまったく違う授業内容
入って最初に驚いたのが、授業内容のハードさでした。
僕が配属されたA小学校は、中学受験のために子どもを通わせている保護者がほとんど。だから授業も、文部科学省の標準カリキュラムをはるかに超えた内容を扱います。特に大変だったのが、理科と社会。
教科書レベルの知識じゃ、全然足りないんです。中学受験で出るレベルの細かい知識まで網羅しないといけない。植物の構造、岩石の種類、歴史の細かい年号、県庁所在地より先の地名。教える前に、まず自分が必死で勉強しないと授業にならない状態でした。
新人のころは、当然そんな知識が頭に入っているはずもなく、毎日の授業準備に追われていました。
クラスが崩壊した日
最初の数ヶ月、僕の授業はひどいものでした。
予習が間に合わず、しどろもどろになりながら教壇に立つ日々。子どもたちの顔を見ると、明らかに興味を失っているのがわかる。「この先生、ちゃんと知らないんだな」と見抜かれていたんだと思います。
中学受験を目指す小学生は、本当に賢いんです。塾でとっくに知っている内容を、しどろもどろで教えられても、聞く気になんてなれないですよね。
そして、決定的な日が来ました。
授業中、子どもたちがざわつき始めたんです。最初は隣同士で小声で話す程度。でも、誰も止めない。僕も注意できない。すると「この先生は怒らない」とわかったのか、教室中で勝手におしゃべりが始まりました。
完全にクラスが崩壊した瞬間でした。
ここで毅然と叱れていれば、まだ立て直せたのかもしれません。でも当時の僕には、その勇気がなかった。怒鳴って嫌われるのが怖かったし、何より自分の準備不足が原因だという自覚もあって、強く言えなかったんです。
放置した結果、状況は悪化する一方でした。
算数だけは聞いてくれた、その理由
ただ、不思議なことに、算数の授業だけは子どもたちが真剣に聞いてくれていました。
なぜか。僕自身が算数を理解していて、自信を持って教えられていたからです。子どもは敏感なので、教師が本当に理解しているのか、付け焼き刃なのかを、瞬時に見抜きます。
「これは知識量の問題だ」。そう気づいた僕は、家に帰ってから理科と社会の勉強を始めました。教科書を何周も読み込んで、関連書籍を買って、説明を声に出して練習して。深夜に一人で「では、植物の光合成というのは——」とブツブツ呟いている20代男性、今思うとなかなかシュールです。
努力の甲斐あって、少しずつ授業を聞いてくれる子が増えてきました。でも「興味を持って聞いている」んじゃなくて、「とりあえず聞いている」程度。これじゃダメだと思いました。
模型作りで人生が変わった
転機になったのは、たまたま見たテレビ番組でした。
理科の問題を子どもたちが解いていく番組で、出ている小学生たちが本当に楽しそうなんです。何が違うんだろうと観察していたら、説明のときに模型を使っている。立体的な模型で見せられると、文字や図だけよりも一気に理解しやすくなる。
「これだ」と思いました。
ちょうど次の授業が花のつくりの単元だったので、家に帰ってから花の模型を作り始めました。雄しべや雌しべがちゃんと外せて、構造が見える模型。寝る時間を削って、深夜まで工作です。
完成した模型を持って授業に行くと、子どもたちの反応が明らかに違いました。前のめりで見てくれる。質問もしてくれる。「先生、これすごい!」と言ってくれる子もいて。
崩壊しかけていたクラスが、嘘みたいに変わった瞬間でした。
それからは、ほぼ毎単元で模型を作るようになりました。1年目で作ってしまえば、翌年からは同じものを使い回せる。そう自分に言い聞かせて、ひたすら作り続けました。
家中に模型が増えていきました。植物、人体、太陽系、地層、火山。気がつくと部屋が小さな理科室みたいになっていて、来客があったら確実に「何やってる人?」と引かれるレベルでした。
1日のスケジュールが完全におかしかった
ただ、模型作りには代償がありました。時間です。
僕の1日のスケジュールは、こんな感じでした。
・朝7時:出勤
・午前〜夕方:授業
・夕方〜夜:職員室で事務作業、翌日の授業準備
・帰宅:21〜22時
・帰宅後:模型作りや教材研究で深夜2〜3時まで
睡眠時間は4〜5時間。これを毎日繰り返していました。
しかも給料は、日中の労働分しか出ません。残業代という概念が、ほぼ存在しない世界。「教師は聖職だから時間を惜しんで働くべき」みたいな空気が、職員室全体に流れていました。
これが「教員の働き方改革」が叫ばれる前の、私立小学校のリアルです。
テスト期間という地獄
普段でも限界だったのに、テスト期間はさらに地獄が深まります。
中学受験対策のため、テストの数も内容も多い。受け持つ全クラスの全教科を採点していくと、とんでもない量になります。学校で採点しきれず、結局家に持ち帰る日々。
家に帰ってから深夜まで採点して、寝て、起きて、また学校。模型作りの時間すら取れなくなって、結局それも土日にやる羽目になる。土日も完全に潰れる。
体調を崩したのは、たぶん2年目の終わりごろでした。寝ても疲れが取れない、食欲もない、朝起きるのが本当に辛い。明らかにオーバーワークでした。
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救いになった子供の一言
それでも辞められなかったのは、ある瞬間があったからです。
1年目の終わり、クラスの男の子が職員室まで質問しに来てくれたんです。理科の質問でした。一通り答えたあと、その子がこう言ってくれました。
「先生、模型あるからすげー分かりやすい。ありがとう」
シンプルな一言でした。でも、深夜まで作っていた模型が、ちゃんと届いていたことがわかった瞬間でした。
正直、泣きそうになりました。あれだけの労力が無駄じゃなかったという安堵と、こんな素直な子どもたちのために頑張れてよかったという気持ちと。あの一言がなかったら、僕は2年目を続けられなかったと思います。
同僚との時間が唯一の救いだった
教師という仕事に、ドラマみたいな同僚との交流はあまりありませんでした。
授業準備、授業、採点、保護者対応。気がつくと一日が終わっていて、教師同士でゆっくり話す時間なんて、ほとんどない。
それでも、職員室での短い雑談は救いでした。バカ話を言い合ったり、生徒の面白いエピソードを共有したり。みんな疲れているからこそ、笑い合える時間が貴重だったんです。
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5年で限界が来た
それでも、5年で僕は辞めました。
理由はシンプルです。毎日深夜まで働いているのに、夕方までの給料しか出ない。この一点が、どうしても納得できなくなったからです。
教師という仕事自体は、子どもたちと関われる素晴らしい仕事だと、今でも思います。模型を見て目を輝かせる子どもの顔、「分かりやすい」と言ってくれる瞬間。あの喜びは、他の仕事ではなかなか味わえません。
でも、自分の人生を犠牲にし続ける働き方は、20代のうちはまだ持っても、30代以降は無理だと判断しました。結婚も、家庭も、キャリアアップも、このままじゃ何ひとつ叶わない。
今はIT業界で生きている
辞めてからは、IT業界に転職しました。
意外なことに、教師時代の経験が今の仕事でも活きています。プレゼンが「分かりやすい」と褒められるんです。模型を作って小学生に説明していたあの経験が、複雑な技術を非エンジニアに説明するときの土台になっている気がします。
サビ残はほぼなくなって、給料も上がりました。残業した分はちゃんと残業代が出る。当たり前のことが当たり前にある環境。これだけで、人生が全然違います。
教師を辞めたことに後悔はありません。あの5年で得たものは確実にあるし、辞めた判断も正しかった。ただ、もし今でも私立小学校で同じように働いている先生がいたら、伝えたいです。
辞めるのは逃げじゃない。自分の人生を取り戻すための、選択肢のひとつです。
関連記事:コロナ禍に新卒で小学校教員→1年4ヶ月で退職した話|放課後等デイへ転職した今
教員の働き方に限界を感じている人へ
この人が深夜2時、3時まで作っていたのは、子どもに「分かりやすい」と言わせるための理科の模型でした。
授業を良くしようと工夫するほど時間は削られるのに、教員には残業代の概念が薄く、教職調整額が数パーセント上乗せされるだけ——中学受験対策が主軸の私立小学校では教材研究や採点の負担も一段と重く、熱心な先生ほど消耗していきます。
ただ、教材を工夫して人に伝えてきた構成力や説明力は、ITをはじめ他業種でも評価される強みです(この人も転職先で「プレゼンが分かりやすい」と言われています)。
今の働き方に限界を感じているなら、一人で抱え込まず、下記の窓口を覗いてみるところから始めてみてください。
困った時の選択肢
【深夜まで働いても辞められない方へ】
毎日深夜まで働いても残業代が出ない、それでも周りの目が気になって切り出せない——そんなときは、教員や公務員の退職実績が多い弁護士の退職代行という選択肢があります(学校とのやり取りも代わりに引き受けてもらえます)。
→ 弁護士法人ガイアの退職代行(教員・公務員の退職実績あり)
そのほか、状況に合わせて選べる窓口を挙げておきます。
・20代で、教員からITエンジニアへ未経験で挑戦したい方は、IT未経験特化のサポートを(18〜29歳・関東/関西/東海エリア対象)
→ ITエンジニア就職に特化した【ウズウズIT】
・年齢やエリアの条件によらず、教員経験を活かして他業界(IT・営業など)へ移りたい方は(対応エリアの方は年収・働き方の相談も)
→ type転職エージェント(IT・営業に強い総合転職・20〜40代)
・教員以外の業界に、自分の経験がどう活きるかをまず調べてみたい方は
→ ワンキャリア転職(口コミ・選考体験談で他業界を知る)
・心身が限界に近いと感じる方は、抱え込む前に、自分の気持ちを整理するセルフケアから
→ 心のAIパートナー【Awarefy】(自己理解・セルフケアアプリ)
公的な窓口としては、総合労働相談コーナー(厚生労働省)や、よりそいホットライン(0120-279-338)が無料で相談に乗ってくれます。
働き方や次のキャリアを、まず一冊から考え直したいときは、無料で試す方法もあります。
・読んでみる → Kindle Unlimited(30日間無料体験)
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夜中まで採点や教材研究で画面と向き合い続けると、目の奥がじんわり重くなる。その負担をやわらげるために、ブルーライトカットメガネをかけている人もいます。
