大学を卒業して、僕は小学校教師になりました。
正直に言うと、強い志があったわけではありません。「とりあえず教師でもなるか」という、今思えばかなり軽い気持ちでした。それでも採用されたのが、中学受験に特化した私立小学校。これが、僕の20代後半を地獄に変えた職場でした。
最初は「私立だしホワイトかな」くらいに思っていました。でも、中学受験専門の私立小学校というのは、普通の公立小学校とはまったく別物です。授業内容のレベルが違いすぎて、教える側も常に勉強し続けなければついていけない。気がついたら毎日深夜帰宅、休みは採点で潰れ、5年で僕は教師を辞めることになりました。
これから書くのは、そんな私立小学校教師時代の本音です。
普通の小学校とはまったく違う授業内容
入って最初に驚いたのが、授業内容のハードさでした。
僕が配属されたA小学校は、中学受験のために通わせている保護者がほとんど。だから授業も、文部科学省の標準カリキュラムをはるかに超えた内容を扱います。特に大変だったのが理科と社会。
教科書レベルの知識じゃ全然足りないんです。中学受験で出題されるレベルの細かい知識まで網羅しないといけない。植物の構造、岩石の種類、歴史上の細かい年号、地理の県庁所在地以上の地名。教える前に、まず自分が必死で勉強しないと授業にならない状態でした。
新人の頃は、当然そんな知識が頭に入っているはずもなく、毎日の授業準備に追われていました。
クラスが崩壊した日
最初の数ヶ月、僕の授業はひどいものでした。
予習が間に合わず、しどろもどろになりながら教壇に立つ日々。子供たちの顔を見ると、明らかに興味を失っているのがわかりました。「この先生、ちゃんと知らないんだな」と見抜かれていたんだと思います。
中学受験を目指す小学生は、本当に賢い。塾でとっくに知っている内容を、しどろもどろで教えられても、聞く気になんかなれないですよね。
そして決定的な日が来ました。
授業中、子供たちがざわつき始めたのです。最初は隣同士で小声で話す程度。でも誰も止めない。僕も注意できない。すると、それを見て「この先生は怒らない」とわかったのか、教室中で勝手におしゃべりが始まりました。
完全にクラスが崩壊した瞬間でした。
ここで毅然と叱れていれば、まだ立て直せたかもしれません。でも当時の僕にはその勇気がありませんでした。怒鳴って嫌われるのが怖かったし、何より自分の準備不足が原因だという自覚もあって、強く言えなかったのです。
放置した結果、状況は悪化する一方でした。
算数だけは聞いてくれた、その理由
ただ、不思議なことに、算数の授業だけは子供たちが真剣に聞いてくれていました。
なぜか。それは僕自身が算数を理解していて、自信を持って教えられていたからです。子供は敏感なので、教師が理解しているか、付け焼き刃かを瞬時に見抜きます。
「これは知識量の問題だ」と気づいた僕は、家に帰ってから理科と社会の勉強を始めました。教科書を何周も読み込み、関連書籍を買い、説明の練習を声に出してやりました。深夜まで一人で「では、植物の光合成というのは——」とブツブツ呟いている20代男性、今思うとなかなかシュールです。
努力の甲斐あって、少しずつ授業中に話を聞いてくれる子が増えてきました。でも「興味を持って聞いている」というレベルではなく、「とりあえず聞いている」程度。これじゃダメだと思いました。
模型作りで人生が変わった
転機になったのは、たまたま見たテレビ番組です。
理科の問題を子供たちが解いていく番組で、出演している小学生たちが本当に楽しそうに参加していました。何が違うんだろうと観察していると、説明のときに模型を使っているんですね。立体的な模型で見せられると、文字や図だけよりも一気に理解しやすくなる。
「これだ」と思いました。
ちょうど次の授業が花のつくりの単元だったので、家に帰ってから花の模型を作り始めました。雄しべや雌しべがちゃんと外せて、構造が見える模型。寝るのを削って、深夜まで工作です。
完成した模型を持って授業に行くと、子供たちの反応が明らかに違いました。前のめりで見てくれる。質問もしてくれる。「先生、これすごい!」と言ってくれる子もいました。
クラスが崩壊しかけていた状況が、嘘みたいに変わった瞬間でした。
それからは、ほぼ毎単元で模型を作るようになりました。1年目で作ってしまえば、翌年からは同じものを使い回せる。そう自分に言い聞かせて、ひたすら作り続けました。
家中に模型が増えていきました。植物、人体、太陽系、地層、火山。気がつくと部屋が小さな理科室みたいになっていて、来客があったら確実に「何やってる人?」と引かれるレベルでした。
1日のスケジュールが完全におかしかった
ただ、模型作りには代償がありました。時間です。
僕の1日のスケジュールはこんな感じでした。
朝7時:出勤 午前〜夕方:授業 夕方〜夜:職員室で事務作業、翌日の授業準備 帰宅:21時〜22時 帰宅後:模型作りや教材研究で深夜2〜3時まで
睡眠時間は4〜5時間。これを毎日繰り返していました。
しかも給料は、日中の労働分しか出ません。残業代という概念がほぼ存在しない世界。「教師は聖職だから時間を惜しんで働くべき」みたいな空気が、職員室全体に流れていました。
これが「教員の働き方改革」が叫ばれる前の私立小学校のリアルです。
テスト期間という地獄
普段でも限界だったのに、テスト期間はさらに地獄が深まりました。
中学受験対策のため、テストの数も内容も多い。受け持つ全クラスの全教科を採点していくと、とんでもない量になります。学校で採点しきれず、結局家に持ち帰る日々。
家に帰ってから深夜まで採点して、寝て、起きて、また学校。模型作りの時間すら取れなくなって、結局土日に作る羽目になる。土日も完全に潰れる。
体調を崩したのは、たぶん2年目の終わり頃だったと思います。寝ても疲れが取れない、食欲もない、朝起きるのが本当に辛い。明らかにオーバーワークでした。
救いになった子供の一言
それでも辞められなかったのは、ある瞬間があったからです。
1年目の終わり、クラスの男の子が職員室まで僕に質問しに来てくれたんです。理科の質問でした。一通り答えたあと、その子がこう言ってくれました。
「先生、模型あるからすげー分かりやすい。ありがとう」
シンプルな一言でした。でも、深夜まで作っていた模型が、ちゃんと届いていたことがわかった瞬間でした。
正直、泣きそうになりました。あれだけの労力が無駄じゃなかった、という安堵と、こんな素直な子供たちのために頑張れたのは良かったという気持ち。あの一言がなかったら、僕は2年目を続けられなかったと思います。
同僚との時間が唯一の救いだった
教師という仕事は、ドラマみたいな同僚との交流はあまりありませんでした。
授業準備、授業、採点、保護者対応。気がつくと一日が終わっていて、教師同士でゆっくり話す時間なんてほとんどない。
それでも、職員室での短い雑談時間は救いでした。バカ話を言い合ったり、生徒の面白いエピソードを共有したり。みんな疲れているからこそ、笑い合える時間が貴重でした。
私が経験したのは私立小学校ですが、公立小学校の非常勤・常勤講師として都市部と田舎の両方を経験した方の体験談には、別の角度から小学校現場のリアルが綴られています。学校の種類は違っても、同僚との関係が働きやすさを左右する点は共通しているかもしれません。
小学校講師2年半で見た現場のリアル|非常勤・常勤・田舎と都会の違いを語る
5年で限界が来た
それでも、5年で僕は辞めました。
理由はシンプルです。毎日深夜まで働いているのに、夕方までの給料しか出ない。この一点が、どうしても納得できなくなったからです。
教師という仕事自体は、子供たちと関われる素晴らしい仕事だと今でも思います。模型を見て目を輝かせる子供の顔、「分かりやすい」と言ってくれる瞬間。あの喜びは他の仕事ではなかなか味わえません。
でも、自分の人生を犠牲にし続ける働き方は、20代のうちはまだ持っても、30代以降は無理だと判断しました。結婚も家庭もキャリアアップも、このままでは何ひとつ叶わない。
今はIT業界で生きている
辞めてからは、IT業界に転職しました。
意外なことに、教師時代の経験が今の仕事でも活きています。プレゼンが「分かりやすい」と褒められるんです。模型を作って小学生に説明していたあの経験が、複雑な技術を非エンジニアに説明するときの土台になっている気がします。
サビ残はほぼなくなって、給料も上がりました。残業した分はちゃんと残業代が出る、当たり前のことが当たり前にある環境。これだけで人生が全然違います。
教師を辞めたことに後悔はありません。あの5年間で得たものは確実にあるし、辞めた判断も正しかった。ただ、もし今でも私立小学校で同じように働いている先生がいたら、伝えたいです。
辞めるのは逃げじゃない。自分の人生を取り戻すための選択肢のひとつです。
私はIT業界に転職しましたが、小学校教員から他業界に進む人は珍しくありません。コロナ禍に新卒で公立小学校教員に着任し、1年4ヶ月で退職して放課後等デイサービスに転職した方の体験談には、教員時代の苦悩から転職後の充実感まで率直に綴られていて、教員を辞めるか悩んでいる方の参考になります。
