田舎公立中学校2年で退職|1日14時間労働とお酌強制の地方ブラック実態

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私は現在、私立高校で教師をしています。

教員歴は長く、大学を卒業してから都内の私立中高一貫校で10年、その後、夫の転勤で東北の地方都市に移り、地元の公立中学校で2年間講師を務めました。そして現在は、また私立高校に戻って働いています。

これから書くのは、その地方の公立中学校で過ごした2年間の話です。

正直に言って、私の教員人生でもっとも過酷な2年間でした。1日14時間労働、月の休みが2日、職員旅行ではお酌の強制、校長の車を洗車させられる、そして「校長の言葉は絶対」という独特な慣習の数々。

「公立中学校はブラック」と世間でよく言われますが、特に地方の公立中学校には、都市部にはない独特のキツさがあります。同じ立場で苦しんでいる先生、これから地方で教員になる人、転居で地方の学校に勤めることになった人に、私の経験が何かのヒントになれば嬉しいです。

都内私立10年から田舎の公立中へ

経歴を整理しておきます。

大学卒業後、私は東京の私立中高一貫校で10年間教員をしていました。母校に近い感覚で、生徒も保護者も理性的、職場の雰囲気も悪くない学校でした。10年間、それなりに充実した日々を過ごしていました。

転機は、夫の転勤でした。東北のある地方都市に転居することになり、私は仕事を辞めて、しばらく専業主婦として過ごすことに。

最初の1年は、新しい土地での生活を楽しんでいました。でも、しだいに**「物足りない」**という気持ちが芽生えてきました。10年間も教員として走り続けていたので、家にいる時間が長すぎると落ち着かないのです。

そこで、地元の公立中学校で講師として働くことを決めました。


中学教員のブラック実態は、都市部でも同様のようです。同じく中学教師として働いた末に専業主婦になった元同僚の体験談も、こちらの記事で紹介しています。 中学教師を辞めて専業主婦になった話|モンペ・サビ残・いじめ隠蔽に疲れた私の本音

講師にも種類がある

ここで講師の種類について少し説明させてください。

教員には正規採用の教諭と、講師がいます。さらに講師には2種類あります。

  • 非常勤講師:時給制で週2〜3日勤務、限られた授業のみ担当
  • 常勤講師:1年契約だが正規教員とほぼ同じ業務、フルタイム勤務

私は常勤講師として採用されました。給与は正規教員より少し安いものの、業務内容はほぼ同じです。生徒や保護者から見れば、普通の先生と区別がつきません。

「久しぶりの教員生活、頑張ろう」

意気揚々と、初めての公立中学校勤務に臨みました。でも、その意気込みは、初日から音を立てて崩れていくことになります。

1日14時間労働という日常

副担任、部活の副顧問という役割をもらってスタートしました。

まず驚いたのが、労働時間の長さでした。

私の1日のスケジュール:

6:30 家を出る 7:00 出勤、朝の部活練習に参加 8:00 朝の会 8:30〜 授業(1日4〜5時間) 12:00 給食指導(自分の食事は5分で済ませる) 13:00〜 午後の授業 15:00 帰りの会 15:30〜 部活動の指導(夏は17時まで、それ以外は18時まで) 18:00〜 職員室で事務作業、行事準備、打ち合わせ 20:00 ようやく一息(早ければ) 21:00 翌日の授業準備が終わる頃 21:30 帰宅

1日の労働時間は平均14時間。しかも、これは「平均的な日」の話です。

行事の前になると、ほとんどの先生が23時、24時まで残っていました。ちなみに私の最長記録は翌日の午前2時。林間学校の準備で残業し、深夜まで職員室で資料作りをしていた日でした。

教材研究の時間なんて、ない

授業の合間の空き時間。一般的なイメージだと、ここで先生は教材研究や授業準備をしているのかもしれません。

でも、現実は違いました。

空き時間でやっていたのは:

  • 副担任クラスの生徒全員分の連絡ノートに目を通してコメント記入
  • 提出物の整理
  • 急なトラブル対応
  • 保護者からの電話対応

「教材研究」という、本来教員にとって最も大事な仕事をする時間が、まったくないのです。

私の場合は、10年間の私立教員時代の蓄積があったので、過去の教材を流用してなんとか乗り切りました。でも、新人の先生は本当に大変だっただろうと思います。

月の休みが2日という地獄

部活動は土日のどちらか、または両日。1か月のうち休みが2日しかない月もザラにありました。

夫の顔をゆっくり見られない。家事もままならない。

職場の同僚を見ると、こんな感じでした:

  • 子どもがいる女性教員:祖父母と同居していて、食事や育児を任せている
  • 男性教員:「子どもと話すのは週に数回」という人がザラ
  • 私(夫婦のみ):平日は毎晩、宅食サービスを注文してしのぐ

家庭のサポート体制が前提となっていないと、続けられない仕事でした。

改善しようという雰囲気がゼロ

これだけのブラック労働なのに、もっと驚いたのは改善しようという空気が一切ないことでした。

長時間労働と、増え続ける仕事量。すべての先生が不満を持っているように見えました。でも、誰も声を上げない。みんな「こういうものだ」と諦めていました。

特に違和感を覚えたのが、時間管理の感覚の甘さです。

1日に何度もある「お茶時間」

その最たるものが、お茶時間でした。

部活が終わって職員室に戻ると、学年ごとにお茶係がいて、学年の先生たち全員にお茶を入れます。みんなで出し合ったお金で購入したお菓子を食べながら、その日あったことを話す。

時間にして、毎回約30分

「情報交換」という建前ですが、実態はほぼ雑談です。生徒の話、家族の話、テレビの話。重要な情報共有もたまにありますが、そのために30分必要かというと、まったくそんなことはありません。

そして会議が始まると、これまたお茶を入れてお菓子を配るところから始まります。司会も慣れていない人だと、無駄話が増えて長くなる。半分くらい雑談で終わる会議もありました。

1日に数回あるお茶時間がなくなれば、どれだけ仕事がはかどるか。残業時間がどれだけ減るか。

そう思うのは、私が「外から来た人間」だからかもしれません。地元の先生たちは、お茶時間を当たり前として受け入れていました。

校長の言葉は絶対

校長の独裁的な雰囲気にも驚きました。

とにかく偉そうに話す校長で、断定的な物言いが多く、自分は絶対の存在だと思っているような話し方をする人でした。最初は冗談かと思ったほどです。

体育祭の前のことです。

生徒も教員も、炎天下で何時間も練習に立ち会います。生徒たちは日焼け止めクリームの使用が禁止されていたのですが、それは「公平性のため」という建前があるので、ある意味理解できました。

でも、教員にも同じルールが適用されたのです。

ある日、私が日焼け止めを塗り、日焼け防止のアンダーウェアを着ていたところ、翌日から「教員も日焼け止め禁止」というお触れが回ってきました。

紫外線アレルギーのある女性の先生だけは、診断書を提出して特別に許可をもらっていました。でも、それ以外の先生たちは、皮膚が真っ赤になりながらも素直に従っていました。

「公立だからそういうものなのか」「この地域がそうなのか」「校長の独裁なのか」

どれが正解か分かりませんでしたが、職員室では**「校長の言葉は絶対」**という認識が共有されていました。

地獄の職員旅行

年度末には、教職員全員で旅行をする習慣がありました。

「全員強制参加」というのは引っかかりましたが、以前の私立校でも職員旅行はあって、それなりに楽しい思い出だったので、「のんびりできるかな」と期待して参加しました。

そこで待っていたのは、地獄でした。

夜の宴会の話です。会場に着くと、こんなお触れが回ってきました。

女性教員は全員、管理職や主任の先生にお酌をしてまわってください

時代錯誤すぎて、最初は意味が分かりませんでした。でも、本当だったのです。

私を含め、女性教員たちは席を立って、年配の先生たちに順番にお酌をしてまわります。注いだら、その先生のありがたいお話を聞く。校長が話を始めれば、約20分間、相槌を打ちながら聞き続ける。

その間、私が食べたのは:

  • お刺身を数切れ
  • 最後のアイス

それだけでした。料理が運ばれてきても、お酌に回っていて自分の席に戻れないのです。

二次会は強制参加、温泉なのにお風呂入れず

夕食が終わったあと、当然のように全員参加の二次会が始まりました。

拒否する人は一人もいません。当然、私も「お先に失礼します」とは言えない雰囲気。

二次会が終わったのは夜23時

温泉旅館なのに、お風呂に入る時間すら取れませんでした。部屋に戻って、翌朝に慌てて朝風呂に入っただけ。

「これが楽しい職員旅行?」

東京の私立校の頃の、のんびりした職員旅行が懐かしくなりました。

目を疑う田舎の慣習たち

他にも、目を疑うような慣習がたくさんありました。

①体育祭前日のリレー 新規採用の教員(私を含む)による、400メートル全力疾走のリレー。「新人の通過儀礼」だそうで、誰も疑問を持たない。本番で全力疾走したあと、翌日の体育祭でまた走らされるのです。

②校長の車を洗車 雪が降った日、校長の車が雪で汚れていると、若手教員が指名されて洗車。「気を遣えるかどうかが評価対象」らしい。

③林間学校でお風呂禁止 2泊3日の林間学校。バーベキュー、登山、生徒指導で汗だくになっても、教員には入浴の時間が与えられない。理由は「生徒の見守りが優先だから」。

④教員同士のいじめ 女性教員間での仲間外れ、無視、陰口。実際に耐えられず辞めていった先生もいました。

これら、ひとつひとつ書き出すと、本当に漫画みたいな世界だと思うのですが、当時の私の職場では「普通」のことでした。

改善しようとすると「異物扱い」

最初、私は何度か声を上げようとしました。

「お茶時間、もう少し短くできませんか?」 「日焼け止めくらい、許可してもらえませんか?」 「林間学校で先生の入浴時間を確保できませんか?」

でも、返ってきたのは冷たい目線でした。

「東京から来た人は、すぐ変えようとする」 「うちの学校のやり方が分かってない」 「協調性がない」

陰でこういうことを言われているのが、すぐに分かりました。

改善しようとする人は、異物扱いされるのです。だから誰も声を上げない。みんな黙って従う。それが「協調性」とされる文化でした。

2年で限界、私立高校に転職

このままでは心身が壊れてしまうと感じて、2年で公立中学校を辞めることに決めました。

辞める時には、地元の私立高校に採用が決まっていました。私立高校は、東京の私立校と似た雰囲気で、ずっと働きやすい環境です。お茶時間もないし、職員旅行のお酌強制もない。校長は普通に話す人。

転職して心から思ったのは、**「あの2年間は何だったんだろう」**ということでした。

この経験から学んだこと

地方の公立中学校での2年間で、私が学んだことを最後に書いておきます。

①「公立だから安定」は幻想 公立の安定性に憧れて転職する人もいますが、地方の公立は独特の文化があります。安定を求めるなら、職場の雰囲気もよく確認すべきです。

②慣習は地域差が大きい 首都圏の学校と地方の学校では、慣習の重みが全く違います。「ここはそういうもの」と諦めて染まる前に、自分が許容できるかを冷静に判断すべきです。

③染まる前に辞める勇気 2年で辞めたのは正解でした。あと1年、2年いたら、私もお茶時間に何の疑問も持たず、新人にお酌のルールを教える側になっていたかもしれません。

④声を上げて変わらない場所からは離れる 組織が大きすぎて、問題がありすぎて、変えるには相当のエネルギーが必要です。誰かが本気で改革しないと変わらない場所に、自分の人生を捧げる必要はありません。

中学校の先生の現状は今も変わらない

最後に、現在のことを少し書きます。

私は今、地元の私立高校で教員をしています。私立は私立で大変なこともありますが、あの公立中学校時代に比べれば、ずっと人間らしい働き方ができています。

ただ、地元の知り合いから聞く限り、地方の公立中学校の勤務状況は今もほとんど変わっていないようです。

学校はブラックだと言われ続けていますが、組織が大きすぎて、問題がありすぎて、誰かが本気でやる気にならないと何も変わらない気がします。

私は染まる前に、疑問を感じなくなる前に辞めて、本当に良かったと思っています。

これを読んで、同じような環境にいる先生がいたら、自分の感覚を信じてほしいです。「みんなが我慢しているから」「ここはそういう場所だから」と諦める必要はありません。

辞めて、別の環境を見つける選択肢は、必ずあります。

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