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中高一貫私立の教員から予備校講師へ転職|部活地獄を抜け教えることに集中できた話

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私は今、東京の大学受験予備校で、化学と生物を教えています。

毎日相手にしているのは、一度大学受験に失敗して、来年こそは志望校へ、という強い気持ちを持って通ってくる学生たちです。志は高く、目の輝いている若者たち。彼らに化学と生物を教える仕事は、本当にやりがいがあります。

でも、ここに辿り着くまでには、長い道のりがありました。

それまでの私は、千葉のとある中高一貫の私立学園で化学と生物を教える、いわゆる「学校の先生」でした。授業、クラブ活動、生活指導、PTA運営、学校行事——教員業務のすべてをこなす毎日です。

この記事では、中高一貫私立の教員から予備校講師への転職を選んだ理由と、その後の変化について、正直に書いていきます。教員という仕事の楽しさと苦しさ、そしてそれぞれの世界のリアルを、両方経験した立場からお伝えします。

これから教員を目指す人、すでに教員として働いていて疲弊している人、予備校講師という選択肢に興味がある人に、何か届けばと思います。

📌 体験者プロフィール

性別:男性

前職:千葉県の中高一貫私立学園 教員(化学・生物担当、体操部顧問兼任)

現職:東京の大学受験予備校 講師(化学・生物担当、転職後2年)

転職状況:転職済み(現職継続中)

体験形態:実体験ベース

※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。

中学時代の恩師との出会いが原点

そもそも私が化学と生物の教師を目指したのは、中学時代の、ある先生との出会いがきっかけでした。

それまで、私は理科が大嫌いでした。授業はつまらないし、計算は面倒だし、暗記する用語ばかり。「理科なんて、何の役に立つの?」と思っている、典型的な理科嫌いの中学生だったんです。

でも、ある先生に出会って、それが180度変わりました。

その先生は、世の中の現象をぜんぶ理科で説明できることを、面白おかしく教えてくれる人でした。空が青い理由、料理で起こる化学反応、人間の体の仕組み。理科が「世界の見え方を変える学問」だと教えてくれたんです。

それから、私は理科に夢中になりました。中学、高校、大学と理科系の道をひたむきに進んで、いつしか「自分も子どもたちに理科の楽しさを伝える教師になりたい」と思うようになりました。

これが、私の教員人生の原点です。

教員になるまでの厳しい道のり

教員になるためのルートは、想像以上に厳しいものでした。

中学校教諭になるには、中学校教諭1種(大卒程度)、2種(短大卒程度)、専修(大学院修士課程修了程度)の免許状が必要です。私は大学で中学校教員養成課程を修了して、1種の免許を取得しました。

問題は、その先です。公立中学校に採用されるには、各都道府県や政令指定都市が実施する教員採用候補者選考試験に合格しなければなりません。これが、とにかく狭き門でした。

何度も受験して、何度も落ちました。

ちょうど同じ時期に、大学の同期たちは民間企業の就活をしていました。彼らの話を聞いていると、就活の厳しさは民間も教員採用も大差ないと感じました。むしろ、教員採用は枠が少ない分、よりシビアだったかもしれません。

最終的に、私は家から通える千葉のある私立学園に採用されました。私立学校は独自に教員採用試験を行っているので、その試験に合格することで、教職に就けたんです。

ようやくスタート地点に立てた、と思いました。

体操部の顧問という、もうひとつの仕事

中学校教諭としてスタートした私は、3年目からクラス担任も受け持つことになりました。

そして、もうひとつ重い仕事が、私に振られました。

体操部の顧問とコーチです。

私は大学時代に体育会の体操部に所属していて、いくつかの大きな大会にも出場した経験がありました。その経歴を買われて、体操部の指導を任されたんです。

体操の指導自体は、正直、楽しい時間でした。自分の経験を活かして、生徒たちに技術を伝えていく。技ができるようになって喜ぶ生徒の姿を見るのは、教員としても、元アスリートとしても、充実感がありました。

ちなみに同僚の中には、まったく経験したことのない競技の顧問に割り当てられる先生もいました。野球未経験の先生が野球部、サッカー未経験の先生がサッカー部、みたいなことが普通に起きる。文句を言えるような状況じゃありません。私はまだ、自分の経験を活かせるだけマシだったんです。

部活動という名の「無償労働」

ただ、体操部の指導には、見えにくいけれど大きな問題がありました。

勤務時間外の労働だ、ということです。

部活動の指導は、平日は夕方から行われます。一般企業で言えば、定時を過ぎてからの活動です。それを、毎日やる。

そして、土日も同じです。

私が担当した体操部では、毎週日曜日に近隣の中学校との対外試合が組まれることが多くて。その場合は朝から昼、そして夕方まで丸一日、試合にかかりきりになりました。

一般企業的に言えば、これは完全に「休日出勤」です。

でも、不思議なことに、公立中学校や私立中学校では、こういう発想が成立しないんです。

「先日の日曜日に出勤したので、月曜日に振休を取ります」

これを言える教員は、ほぼいません。月曜日に先生が来なかったら、子どもたちは授業を受けられなくなってしまうからです。

理屈は分かります。でも、「なんか、おかしいよね」という違和感は、若い先生の間ではよく囁かれていました。

クラブ活動の指導はどこまでやるか

クラブ活動の顧問を任された教員にとって、「どこまで指導に入れ込むか」は、本当に重要な問題です。

真面目な先生ほど、入れ込みます。土日もすべて部活、平日も遅くまで指導、自分の家庭は二の次。そういう生き方を選ぶ先生もいます。

私にも、その傾向はありました。体操の指導は楽しかったし、生徒たちの成長を見るのは本当に嬉しかったから。

でも、入れ込めば入れ込むほど、自分の本来やりたい仕事の時間が、なくなっていくんです。

授業の準備、教材研究、化学や生物の最新情報のキャッチアップ。これらに割く時間が、どんどん削られていきました。

PTA運営と学校行事という「報われない労働」

ブラック度で言えば、PTA運営や学校行事への参加も、相当なものでした。

学校行事の企画、運営、当日の進行管理。PTAの会議、イベントの準備、保護者対応。これらは大人が相手になる仕事なので、教員には「イベントスタッフ」としての働きが強く求められます。

しかも、これは部活動以上に報われない仕事でした。

部活動の顧問なら、生徒の成長を見られるし、何年か経って卒業生から感謝されることもあります。「先生のおかげで頑張れました」と言ってもらえる瞬間が、教員のやりがいになる。

でも、PTA運営や学校行事は違います。

「先生、本当にありがとうございます」

そんな言葉をかけてくれる父兄は、本当に少ない。基本的には「やってもらって当たり前」「先生の仕事の一部」と思われています。

例えるなら、若い教師は、父兄からすれば消耗品のような存在でした。これは教職についている人なら、誰もが感じていることだと思います。

生徒の問題行動への対応も「親代わり」

生徒たちは感受性の高い年齢層なので、必ず一定の確率で問題を起こします。

人間関係のトラブル、不登校、家庭の問題、思春期特有の悩み。これらに対して、教員は親身になって、親代わり、兄代わりで対応することを強く求められます。

それ自体は、教員の大事な仕事だと思います。子どもたちの成長を見守り、悩みに寄り添う。これは間違いなく必要なことです。

でも、ある日ふと立ち止まって、私は考えました。

「私が本当にやりたかったことは、これだったのか?」

私が教員を目指した原点は、「化学を真剣に学びたい、世の中の不思議を知りたい」と思う学生に、化学の世界への道筋を示してやることでした。

でも、今の私は、その時間が取れていない。気持ちは萎えていないけれど、化学を教えるための準備に費やす時間が、他の仕事にどんどん取られている。

そういう悶々とした状況が、1年以上続きました。

「教えることだけ」を考えられる場所はどこか

「教えることだけに集中できる職場は、ないのだろうか」

そう考え始めた私は、いろいろな選択肢を模索し始めました。

進学校への転職、専門学校の講師、大学院に戻って研究者の道。いくつかの選択肢を検討しました。

そして、あちこちヒアリングしたり調査したりした結果、たどり着いた結論が「予備校が良いだろう」というものでした。

理由はシンプルです。予備校の学生は、本気で学びたいと思って来ているからです。

公立や私立の中学・高校には、勉強したくない生徒もいれば、なんとなく学校に来ているだけの生徒もいます。そういう子たちにも教えるのが、教員の仕事です。それは尊い仕事です。

でも、私が本当にやりたかったのは、「学びたい」と思っている学生に、その先の世界を示すことでした。予備校なら、それができる。

予備校への転職、そして今

思い立ったら、早かったです。すぐに転職活動を始めて、有名な予備校の講師募集がタイミングよく出ていたので、応募しました。運良く合格して、講師になれたんです。

それから、2年が経ちました。

部活動の顧問、生活指導、PTA運営、学校行事——これらすべてが、なくなりました。

その分、教科指導に時間とエネルギーを集中できるようになりました。化学と生物を、本気で学びたい学生に、本気で教える。これが、私が教員を目指した原点でした。

今、私はそれを実現できています。

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予備校講師ならではの「大変さ」もある

ただ、予備校講師は予備校講師で、別の大変さがあります。

ずばり、「予備校生に受ける授業を、どれだけできるか」で給料が決まるんです。

これは、厳しい世界です。

学校教員の給料は、基本的には経験年数や役職で決まります。担当クラスの成績が悪くても、すぐに給料が下がるわけじゃありません。

でも、予備校講師は違う。

私の授業を選んでくれる学生が多いか、合格実績を出せるか、生徒からの評価アンケートが高いか——これらが、給料に直結します。

つまり、実力主義の世界です。

授業の質を上げるための研究、教材の開発、生徒のレベルに合わせた説明の工夫。これらに四苦八苦する日々が続いています。

でも、これは「教えることに関する努力」なので、私としては苦しくありません。むしろ、自分の本来やりたかったことに全力を注げているという、充実感があります。

教員と予備校講師、どちらが良いとは言えない

最後に、これから教員を目指す人、あるいは教員から転職を考えている人に伝えたいことがあります。

学校教員と予備校講師、どちらが良い悪いという話ではありません。

学校教員には、子どもたちの全人格的な成長に関われる素晴らしさがあります。問題行動への対応、生活指導、部活動の指導——これらすべてが、子どもたちの人生を支える、尊い仕事です。

予備校講師には、教科指導に集中できる純粋さがあります。「学びたい」と思う学生に、その学問の魅力を伝える。これも、また違った種類のやりがいです。

大事なのは、自分が何をしたくて教員を目指したのかを、定期的に振り返ることだと思います。

私の場合は、「化学と生物を教えたい」という気持ちが原点でした。だから、その気持ちに集中できる場所——予備校——に移ったことに、後悔はありません。

でも、もし「子どもたちの成長に総合的に関わりたい」という気持ちが原点なら、学校教員を続けるべきです。予備校に転職したら、たぶん物足りなくなります。

自分の原点を見つめ直して、自分に合った場所で働く。それが、長く続けるための一番のコツだと、私は思っています。

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教員を続けるか、教える場所を変えるか迷っている人へ

この人が予備校に移ったのは、教員の仕事が嫌になったからではなく、むしろ逆——「化学と生物を教えたい」という原点に、もう一度時間を集中させたかったからでした。

学校の先生の仕事は教科指導だけでなく、部活顧問・PTA・行事・生活指導まで幅広く、とくに中高一貫の私立では教える時間がそれ以外に侵食される——その幅広さが、原点しだいで魅力にも足かせにもなります。

だから大事なのは「辞めるかどうか」より「自分の原点はどこか」を見極めること。違和感があるなら、一人で抱え込まず、頭の中を整理してみてください。

困った時の選択肢

【「何がしたくてこの仕事を選んだか」を整理したい方へ】

転職ありきではなく、まず「自分は何がしたくて、この仕事を選んだのか」を言葉にして整理したい20〜30代の方には、キャリアコーチングという選択肢があります(初回相談は無料・自己分析やキャリアの方向づけが中心)。
キャリア相談・自己分析のキャリート

そのほか、状況に合わせて選べる窓口を挙げておきます。

・教える仕事の別の場や、他の業界も含めて選択肢を知っておきたい方は
 → ワンキャリア転職(口コミ・選考体験談で他の選択肢を知る)

・教える場にこだわらず、他業界も視野に正社員での転職を動き始めたい方は(対応エリアの方は年収・働き方の相談も)
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公的な窓口としては、総合労働相談コーナー(厚生労働省)や、よりそいホットライン(0120-279-338)が無料で相談に乗ってくれます。

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一日に何コマも声を張って教える仕事は、とにかく喉が乾く。授業の合間にこまめに潤せるよう、保温タンブラーを手元に置いている講師もいます。

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