「なんであんな奴雇ったんだ!」初日に社長から響いた一言
23歳から26歳までの3年間、私は地方の観光土産品の卸売会社で営業職として働いていました。
正社員、年収220万円、ボーナスなし、手当は交通費3,000円のみ。
数字だけ見れば、典型的な低待遇のブラック企業です。しかも、入社初日にいきなりとんでもない出来事が起こりました。
私を採用してくれた課長が、社長に呼びつけられて、こう叱責されたのです。
「なんであんな奴雇ったんだ!」
社内は背の低いパーテーションで仕切られているだけで、社長の声は40名程度の全社員に丸聞こえでした。当然、私の耳にもはっきりと届きました。
動揺のあまり、デスクの上にボタボタと汗が落ちるほどだったのを今でも覚えています。
普通ならこの時点で「辞めようかな…」となるところですが、当時の私は逆でした。
「絶対に見返してやる」
そう心に決めたのが、私の3年間のスタートです。
大学卒業後の苦労、ようやく掴んだ営業職
そもそも、なぜこの会社に入ったのか。
大学を卒業してから、私はかなり仕事探しに苦労していました。希望は最初から営業職一本だったのですが、なかなか採用に至らない日々が続いていたのです。
そんな時、求人雑誌でこの会社の募集を見つけました。
この会社の求人で目を引いた点
・観光土産品の卸売(菓子類・雑貨類でアイテム数豊富)
・「誰でも簡単です」という募集記事の文言
・元々興味のあった業界
「これはチャンスだ」と思って応募しました。
面接の翌日には採用の連絡があり、翌週から勤務開始。テンポの早さに「この会社、人手不足なのかな」とは思ったものの、当時の私はやる気で満ちあふれていました。
そして冒頭の出来事が起きるわけです。
任されたエリアの広さに絶句、隠されたブラックポイント
私に与えられた担当エリアは、会社のある市の隣の市までの広範囲でした。
担当顧客は約40店舗。
・大型フェリー内の売店
・同市の百貨店
・温泉街の売店
・各観光地の土産物店
数だけ見れば「営業職としてはまあそんなもんかな」と思える範囲です。問題は、その中に大型フェリー内の売店が含まれていたことでした。
大型フェリーの売店への営業は、入港時間に合わせて納品を兼ねて訪問する必要がありました。
フェリーの入港時間(私が対応する便)
・朝6時20分の便
・12時の便
・14時の便
・17時の便
・20時の便
つまり、朝6時20分の便に間に合うために、自宅を4時半には出ないといけないわけです。
そして1日の最後の便は20時。これを終えてから会社に戻ると、もう22時半。当然ながら、他の社員は全員帰宅済みです。
入社初日、上司からこう言われました。
「タイムカードは押すな」
この一言で、私はようやく気づきました。「ああ、この会社は労働時間を記録に残したくないんだな」と。完全にブラック企業だと確信した瞬間でした。
1日のスケジュール、3年間こんな感じでした
私の3年間の典型的な1日は、こんな流れでした。
営業マンの1日(フェリー担当時)
・4:30 起床
・5:30 自宅を出発
・6:20 港に到着、フェリー入港便に納品&営業
・8:00〜 他の顧客回り(百貨店・温泉街・土産物店など)
・12:00 12時便のフェリーに対応
・14:00 14時便のフェリーに対応
・15:00〜 他の顧客回り
・17:00 17時便のフェリーに対応
・20:00 20時便のフェリーに対応(最終便)
・22:30 会社に戻る
・23:30 帰宅
睡眠時間は実質4〜5時間。これを3年間続けていました。
体力的にきつかったのは、もちろんです。
そこで私は、日中の空き時間に営業車内で仮眠を取るという自己防衛策を取り入れました。これがなかったら、本当に倒れていたと思います。
過酷な仕事の中で、意外と楽しかったこと
ここからは、ブラックな環境の中でも救いになった話です。
大型フェリーへの納品は、私一人で全部やるわけではありません。
フェリーへの納入業者は、私の会社以外にも複数ありました。
フェリーの納入業者
・競合他社(土産物関係)
・飲料メーカーの営業
・食材卸の営業
・書籍を扱う営業
これらの業者の担当者が、フェリーの入港時間に全員集合します。
そして、納入する商品を大きなカゴに積み込み、クレーンで船の上まで持ち上げて、全員で売店まで人力で搬入するのです。
文字にすると過酷な肉体労働ですが、実際には他業者の担当者さんとのコミュニケーションが本当に楽しかったんです。
毎日同じメンバーで顔を合わせるので、自然と冗談が飛び交うようになりました。「今日のフェリーは揺れそうだな」「お前のとこの新商品売れてるぞ」みたいな会話が、苦しい労働の中での息抜きになっていたのです。
特に17時の便以降は、他の業者さんは「夕方便担当の別の営業マン」に交代していました。
私だけは20時便まで1人で担当だったので、結果的に全業者担当者さんと顔見知りになれた、というわけです。
ブラックな環境でしたが、営業職の醍醐味を確かに感じることができた瞬間でした。
「見返してやる」の3年間、前年比160%を達成
入社初日に「絶対に見返してやる」と決めた私の意地は、数字となって現れました。
3年間で、ほぼすべての担当顧客で前年度比を大きく超える売上を達成。
特に印象的だったのが、ある年の数字です。
私の営業実績(最も良かった年)
・前年度比160%を記録
・他の先輩営業マンは数字を落としている中での達成
・大型フェリー・温泉街の売店ともに大幅増
これを年収220万円・ボーナスなし・手当ほぼなしの待遇で達成していたわけです。
正直、給料への不満はありました。でも、私には最初から「営業能力を身につけたら辞める」という計画があったので、3年間は走り切るつもりでした。
入社初日の社長の一言を、毎日反芻しながら数字を積み上げていったのです。
退職を切り出した瞬間、態度が一変した上司たち
3年が経ち、十分な営業能力が身についたと判断した私は、切りの良いタイミングで辞表を提出しました。
すると、上司たちの態度が180度変わったのです。
辞職を伝えた後の上司の変化
・課長:それまでの厳しい態度から急に親身になる
・社長:「もう少し頑張れないか」と急に擁護的に
・パワハラ行為や公序良俗に反する行為が一気に増加
正直、ここで私はキレました。
入社初日に「なんであんな奴雇ったんだ」と全社員に聞こえる声で叱責しておきながら、数字を上げて辞めると分かった瞬間に手のひらを返す。
3年間、低賃金で長時間労働を黙って耐えてきたのに、最後の最後でこの仕打ち。
しかも、改めて気づいたことがあります。
交通費は月3,000円しか支給されていなかったのに、実際の交通費は月2万円を超えていたのです。
3年間で換算すると、ざっくり計算しても60万円以上を自腹で交通費に使っていたことになります。当時の私は労基署に駆け込むという知識すらなかったので、結局その分を取り戻すことなく退職しました。
最終的には、半分クビのような形で退職に至りました。
今振り返っても、得たものは確かにあった
退職から年月が経った今、改めてあの3年間を振り返ると、会社に対する恨みや怒りはほとんどありません。
むしろ、こう思っています。
「あの3年間で得たものは、確かに大きかった」
具体的に得たものを整理すると、以下になります。
3年間で得たもの
・厳しい環境下での営業実績(前年比160%)
・他業者担当者との人脈とコミュニケーション能力
・体力的限界の中で自己管理する力(仮眠術など)
・どんな状況でも数字を出す精神力
・「ブラック企業の見分け方」という社会人の必須知識
特に営業の現場で他業者さんと毎日コミュニケーションを取った経験は、その後のキャリアでも大きな財産になっています。
そして何より、入社初日の社長の一言を見返すために走り続けた3年間は、若い私の精神を確実に鍛えてくれました。
業界が違っても、数字を追う営業職には共通する構造があります。固定給+成果報酬型のWeb広告代理店で2年半働き、最高月収100万円を達成しながらも情報商材や出会い系サイトの案件への倫理的葛藤で退職した30代男性の体験談はこちらです。
Web広告代理店営業2年半|固定給+成果報酬で月収100万・倫理観で辞めた話
これから営業職を目指す若い世代へ伝えたいこと
最後に、これから就職活動をする若い世代の方や、すでに営業職で働いていて疲弊している方に伝えたいことがあります。
新卒で配属された会社の理不尽さに苦しむのは、営業職に限った話ではありません。同じく新卒で大手小売業に入社し、入社1年目で店長を任され、催事ノルマを自費購入で埋める日々の末に2年で退職した男性の体験談も、こちらの記事で紹介しています。
大手小売業の店長を1年で任された新卒の限界|2年で辞めた男性のリアル体験談
①「誰でも簡単」という求人広告は怪しめ
私が応募した求人にも「誰でも簡単です」という文言がありました。今振り返ると、これは「人手不足だから誰でもいいから来て」という意味だった可能性が高いです。
仕事は基本的に「簡単ではない」ものです。簡単という言葉に飛びつかず、業務内容や労働時間を具体的に確認することをおすすめします。
②「タイムカード押すな」と言われたらブラック確定
労働時間を記録に残したくない会社は、確実にサービス残業を強いる前提で運営されています。これは法律的にもアウトです。
③それでも、若いうちの「失敗」は得るものがある
私の3年間は、客観的に見ればブラック企業での失敗体験です。でも、その中で得たスキルと精神力は、間違いなく今の自分を支えています。
若いうちの仕事探しは、失敗しても得るものは必ずあるのです。
ただし、健康を害するレベルまで耐える必要はありません。「学べることがなくなった」「体が壊れる」と感じたら、迷わず次のステージに進むべきです。
私の体験が、誰かの参考になれば嬉しいです。

