私は4年制大学を卒業して、22歳で小学校の教員になりました。
小学生の頃からの夢が叶った瞬間でした。
教員採用試験に合格して、赴任先が決まって、新しい出会いに心を弾ませていた4月。
でも、着任してわずか2週間で緊急事態宣言が発表されました。
やっと担任するクラスの子どもたちの顔と名前が一致してきた頃に、彼らと会えなくなってしまったんです。思い描いていた教員生活の日常が、一気に崩れていきました。
それから1年4ヶ月。病気休暇と休職を経て、私は夢だった教員を退職しました。
今は、放課後等デイサービスの児童指導員として、子どもたちと関わる別の形を見つけて働いています。
これから書くのは、コロナ禍の教員1年4ヶ月で経験したリアルです。教員になって良かったこと、本当に辛かったこと、そして転職して見つけた自分に合った働き方。
教員を目指す人、現役で疲弊している人、転職を考えている人に、何かのヒントになればと思います。
📌 体験者プロフィール
・年代:体験当時22歳〜24歳
・前職:公立小学校教員(正規採用)
・現職:放課後等デイサービスの児童指導員
・在籍期間(教員):1年4ヶ月
・退職状況:教員は退職済み(病気休暇→休職を経て退職、現在は児童指導員として現職継続中)
・体験時期:2020年4月着任(コロナ禍)
・体験形態:実体験ベース
※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。
着任2週間で緊急事態宣言、教員生活の幕開け
2020年4月、私は希望に満ちて公立小学校に着任しました。
入学式、始業式、新しい同僚との顔合わせ、自分のクラスの子どもたちとの初対面。すべてが新鮮で、これから始まる教員生活への期待で胸がいっぱいでした。
そんな着任から、わずか2週間後。
ニュースで緊急事態宣言の発表を聞いたときは、現実感がありませんでした。
学校が休みになる。子どもたちは家庭で過ごす。授業はオンライン対応を検討する。
新人の私には、何が起きているのか、何をすべきなのか、まったく見当がつきませんでした。
やっとクラスの子どもたちの顔と名前が一致してきたところだったのに。彼らと会える日常が、突然奪われてしまったんです。
教員になって良かったこと:保護者との信頼関係
それでも、教員生活には良い面もありました。
特に印象に残っているのが、ある保護者との関係です。
赴任前、当時の学年主任から「この保護者は対応に注意した方がいい」と引き継ぎを受けていました。いわゆる「モンスターペアレント」と警戒されていた方です。
ところが、結果として私はその保護者と、クラスで一番仲良くなりました。
きっかけは、ある出来事でした。
学年主任との対比で見えた、保護者対応の違い
私が担任するクラスには、よく問題行動を起こす子がいました。学年主任は、その子の問題行動があるたびに介入して、厳しく叱責していました。
問題は、その対応の仕方でした。
学年主任は感情的になりやすくて、子どもへの叱り方も、保護者から見て度を越していると映っていたようです。
放課後になると、その子の保護者から学年主任宛に、怒りの電話が頻繁にかかってきました。電話越しでも聞こえる怒鳴り声。学年主任も負けじと反論して、結果的に保護者との口喧嘩のような状態になっていました。
私は、この状況を放置しておくのは良くないと感じていました。
新人の身ながら、翌日にその保護者に自分から電話をかけて、話を聞いて、謝罪すべきところは謝罪して、状況を落ち着かせる。それを繰り返しました。
何度かそういうやり取りを重ねるうちに、保護者の方が私を信頼してくれるようになっていったんです。
「先生、いつもありがとうございます」
「私が体調を崩した時には、心配の連絡をくれた」
「先生に担任してもらえて良かった」
最終的には、感謝の言葉をかけてもらえる関係に変わっていきました。
苦手な人にこそ自分から関わる
私には「関わらなければならない苦手な人には、自分から関わる」というモットーがあります。
避ければ避けるほど、関係は悪化します。逆に、自分から踏み込んでいけば、相手の見方も変わってくる。
学年主任から「警戒すべき保護者」と言われていた方と良い関係を築けたとき、自分のこのやり方が活きたと感じました。
それ以上に、人と人として信頼関係を築けたこと。それが教員という仕事のやりがいだと実感した瞬間でした。
教員をしていて本当に辛かったこと:上司からの否定の連続
ただ、教員生活で本当に辛かったのは、上司や同僚からの評価でした。
具体的に言うと、当時定年間際だった校長先生と、中堅の学年主任から、褒められたり認められたりすることがほとんどなかったんです。
自分の受け止め方の問題かもしれません。
でも、振り返ると本当に、注意・叱責・ダメ出ししかされなかった1年4ヶ月でした。
限界まで働いていたのに、評価されなかった
教育実習で、授業や子どもとの関わりは経験してきたつもりでした。それでも、現場で教員の仕事の要領や流れを掴むまでには時間がかかりました。
毎日、最後まで職員室に残って仕事をしていました。それでも終わらない宿題の点検は、毎日家に持ち帰って寝ずにやっていました。それでも翌日には、30人全員の宿題を返却していました。
子どもたちや保護者からの信頼を何とか得て、休日は研究授業の準備をして。自分なりに、必死で頑張っていました。
でも、同僚や上司には、そう映らなかったのでしょう。
1学期末、ほぼ毎日校長室に呼び出された
1学期の終わりになると、ほぼ毎日校長室に呼び出されて、説教を受けるようになりました。
授業の進度が遅い。保護者からの質問を「クレーム」と捉えられて、対応が甘いと言われる。新人なのにこれくらいのこともできないのか、というニュアンス。
指摘されるのは、だいたいそういうことでした。
毎日、校長室のドアを叩く瞬間が地獄でした。
何を言われるんだろう。今日はどんなダメ出しを受けるんだろう。
新人の頃から毎日寝る間も惜しんで働いて、子どもや保護者の信頼を得ようとしていた私への評価が、こうした否定の連続だったんです。
子どもの良いところを見つける教師が、同僚の頑張りを見逃す
このとき、強く感じた矛盾があります。
学校の先生は、子どもたちの良いところを見つけて褒めてあげるのが仕事のはずです。「ここが頑張ったね」「こういうところが素敵だね」と。
でも、その同じ先生たちが、新人の同僚の頑張りはまったく見ていないんです。
何とか助けてあげようとするのではなくて、みんなで蹴落としてくる空気がありました。
「ベテランの教師たちは、子どもには優しいのに、なぜ大人には冷たいんだろう」
この矛盾に気づいたとき、私の心身は限界を迎えていました。
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病気休暇、休職、そして退職へ
体が動かなくなりました。
病気休暇を取って、その後休職へ。夢だった教員を、1年4ヶ月で退職することになりました。
正直、退職を決めたときは罪悪感もありました。「小学生の頃からの夢だったのに」「もっと頑張れば乗り越えられたんじゃないか」という思いがありました。
でも、続けていたら本当に潰れていたと、今は思います。
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放課後等デイサービスへの転職
退職後、私が選んだ転職先は、放課後等デイサービスの児童指導員でした。
放課後等デイサービスは、障害のある子どもや発達に特性のある子どもが、放課後や休日に通う福祉サービスです。子どもと関わる仕事という点では教員と共通していますが、環境はまったく違います。
そして、転職して本当に良かったと感じています。
転職して良かった3つの理由
教員から児童指導員に転職して、具体的に良かったと感じる点が3つあります。
まず、休みを自分で申請できること。
月曜から金曜まで連勤できる体力が、教員時代の経験から自分にはないと分かっていたので、自分のペースで休日を申請できるこの働き方が本当に合っていました。体調が悪い日に無理をしなくていい。これだけで生活の質が全然違います。
次に、同僚の年齢が近いこと。
教員時代は、定年間際の校長や中堅の学年主任に囲まれていて、相談しづらい雰囲気がありました。今の職場は同僚の年齢が近くて、報連相がスムーズです。困ったときに相談しやすいし、何より経験を振りかざして否定する人がいない。みんなが頼りにしてくれるので、モチベーション高く働けています。
そして、前職の経験が活かせること。
放課後等デイサービスは小学生が中心なので、学校事情が分かっていると業務がスムーズに進みます。何年生で習う漢字かを子どもに聞かれてすぐ答えられる。特別支援学級に移籍する時の学校の動きを保護者に説明できる。学校行事のスケジュール感が分かるから、子どもの様子も理解しやすい。
教員時代の経験が、現職で確実に活きています。
収入は減ったけど、後悔はない
正直に書きますが、収入は教員時代より減りました。
それでも、自分に合った働き方ができている今のほうが、心穏やかに毎日を過ごせています。
教員時代のように、夜中まで宿題を点検して、毎日校長から説教される生活には、もう戻りたくありません。
「収入の高さ」より「自分が長く働ける環境」。そっちの方が私にとっては大事だったのだと、今は実感しています。
教員という仕事への複雑な思い
教員生活は、嫌な思い出も多くありました。コロナ禍という特殊な環境、上司からの否定の連続、新人として認められなかった日々。
でも、自分が楽しく働くためのヒントを得たり、今の仕事に経験が活かせたりしているので、総じて教員になって良かったと感じています。
教員という仕事の大変さを少しだけ知っているからこそ、今教員として働いている方々には、心から尊敬の気持ちを抱きます。あの環境で頑張り続けている人たちは、本当にすごいと思います。
ただ、私はもう教員には戻らなくていいと思っています。
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これから教員を目指す人、現役で疲弊している人へ
最後に、私の経験から伝えたいことを書いておきます。
まず、教員という仕事の理想と現実は違うということ。
「子どもたちと楽しく過ごせる」「やりがいのある仕事」というイメージで目指す人は多いと思います。実際、子どもたちとの時間は本当に楽しい瞬間がたくさんあります。
でも、その裏には大人同士の人間関係のしんどさが潜んでいます。校長や学年主任との関係、同僚との競争、保護者対応のプレッシャー。これらが想像以上に消耗するんです。
それから、自分の限界を見極めること。
新人時代に「頑張れば何とかなる」と思って無理を続けると、心身が壊れます。私自身、もう少し早く休んでいれば、違う結果になっていたかもしれません。自分の体と心の声を聞いて、限界が来る前に動いてほしいです。
そして、辞めることは逃げじゃないということ。
夢だった仕事を辞める時、罪悪感を感じる人は多いと思います。でも、辞めることは逃げではなくて、自分に合った別の場所を見つけるための前進です。
私は教員を辞めて、今の児童指導員という仕事に出会えました。教員時代の経験が、今の仕事で活きています。辞めても、その経験は無駄にならないんです。
教員という仕事は、子どもたちの未来に直接関わる仕事です。だからこそ、自分が長く健康に続けられる場所を選んでほしい。
もし続けられないと思ったら、別の道を選ぶのも一つの答えだと思います。
私は、辞めて良かったと心から思っています。
新人で潰れそうなまま、教員を続けている人へ
コロナ禍の着任は通常とは違う入り口で、同僚と慣れる間もなく前例のない判断を迫られ、学ぶ足場が最初から崩れていました。
いちばん刺さるのは、子どもの良いところを褒めるはずの教師たちが、新人同僚の頑張りは見なかったことです。寝ずに30人分の宿題を返し、警戒されていた保護者の信頼まで得た新人が、それでも毎日校長室でダメ出しを受ける——これは個人の力不足ではなく、新人を支える仕組みが弱い職場で起きやすいことです。
辞めることは積み上げた経験を捨てることではないので、限界を感じるなら一人で抱え込まず、下記の窓口で状況を言葉にしてみてください。
困った時の選択肢
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夜まで気を張ったままだと、家に帰っても切り替わらない。一日の終わりにほっと一息つくため、ノンカフェインのお茶を手元に置く人もいます。

