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客先常駐SE20年・現役40代|月350時間と「会議室で寝るしかない」物流移行の地獄

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「もう終電はないけど、このクエリの結果が出るまでは帰れないから。タクシー代は出ないから、会議室の椅子を並べて寝るしかないね」

隣の席のリーダー、佐藤さんが、コンビニの冷えたおにぎりを片手にそう言いました。

窓の開かない、都心の古いビルの一室。時計はもう深夜の2時を回っていました。これは、客先常駐のシステムエンジニアとして20年以上を生きてきた、40代の男の話です。

📌 体験者プロフィール

年代・性別:40代男性(体験当時30代後半〜40代)

業界・職種:客先常駐システムエンジニア(業務システム開発・実態はSES)

雇用形態:正社員

企業規模:中小企業(従業員50〜299人)

業界歴:20年以上

当時の立場・役職:現場SE(一部リーダー補佐)

退職状況:現職継続中

体験形態:実体験ベース

※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。

20年、泥臭い現場を渡り歩いてきた

客先常駐のシステムエンジニアとして、もう20年以上になります。今いるのは中小規模のシステム開発会社で、正社員という肩書きはあります。ただ、中身は典型的なSESです。

40代になった今も、私は現場の最前線でコードを書いています。新しいものを作る仕事もあれば、誰かが昔書いたシステムの保守運用に追われる日もあります。華やかなオフィスでMacBookを広げてスマートに、なんてイメージとは、だいぶ遠いところにいます。

この業界のホワイトな面も、ブラックな面も、嫌というほど見てきました。その両方が一番濃く出ていたのが、数年前に関わった大規模な物流システムの移行プロジェクトです。あの時の空気は、今思い出しても胃が痛くなります。

窓が開かないビルの一室で

現場は、都心の古いビルの一室でした。窓が、開かないんです。

密閉された空間に、サーバーのラックと、人の頭数だけのモニターが並んでいて、空気がいつも少しこもっていました。換気のためにドアを開けると廊下の冷気が入ってきて、誰かが寒いと言う。閉めると、また息苦しくなる。その繰り返しでした。

移行作業というのは、稼働中のシステムを止められない分だけ神経を使います。少しでも手順を間違えれば、本番のデータが飛ぶ。その緊張感のなかで、私たちはずっとあの部屋にこもっていました。

朝9時に入って、出るのは翌日の3時

朝9時に出勤して、ビルを出るのは翌日の深夜3時か4時。そんな生活が、3ヶ月ほど続きました。

深夜のオフィスは、本当に静かです。サーバーの稼働音と、キーボードを叩く音だけが響いている。たまに誰かが大きくため息をつくと、それがやけに大きく聞こえました。

夜中にバグが見つかるたびに、心臓がバクバクして、冷や汗が止まらなくなります。原因がどこにあるのか分からないまま、ログを上から下まで何度も追う。気づくと画面の文字が二重に見えていて、それでも「納期」という言葉に追い立てられて、手は止められませんでした。

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「会議室の椅子を並べて寝るしかないね」

佐藤さんは、いつも冷えたおにぎりを片手に、モニターを睨みつけている人でした。

ある時、ふと手を止めて、私にこう言ったんです。

「もう終電はないけど、このクエリの結果が出るまでは帰れないから。タクシー代は出ないから、会議室の椅子を並べて寝るしかないね」

その言葉に怒りを感じる余裕すら、もうありませんでした。私は「分かりました」とだけ答えて、また作業に戻りました。

ただ、心の中では毒づいていました。なんでこんなに効率の悪いやり方を、いつまでも続けているんだろう。これじゃ、家族の顔も忘れてしまうよ、と。会議室に運ばれていく折りたたみの椅子の、あの硬い感触は、今でも背中が覚えています。

「家に寝に帰ってくるだけの居候ね」

当時、子供はちょうど小学校に上がったばかりでした。

平日は、寝顔すら見られない日がほとんどです。私が帰る頃には子供は寝ていて、私が起きる頃にはもう学校に行っている。同じ家に住んでいるのに、すれ違いだけが続きました。

妻からは、冷たい声でこう言われたことがあります。

「あなたは、家に寝に帰ってくるだけの居候ね」

言い返せませんでした。実際、その通りだったからです。生活費は入れている。でも、それ以外で家族のために何かできていたかと聞かれると、何も浮かびませんでした。

月350時間、それでも年収は500万に届かなかった

労働時間は、月に350時間を超えていました。

残業代は一応出ました。ただ、基本給が低く抑えられていたので、年収にすると500万円に届くかどうか、というラインです。あれだけの責任と労働時間を背負って、この金額。とても見合っているとは思えませんでした。

SESという働き方では、現場で自分がどれだけ貢献しても、それがそのまま自分の給料には返ってきません。単価は会社と会社の間で決まる話で、末端の人間にできることは限られています。体力的にはもう限界で、それでも降りられない。そういう構造のなかにいました。

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垣根を越えて助けてくれたエンジニアたち

それでも、あの過酷な現場のなかに、わずかながら救いもありました。同じ地獄を見ている者同士の、連帯感です。

行き詰まって唸っていると、別の会社から来ているエンジニアが、さりげなく「そこ、このライブラリ使えば解決しますよ」と教えてくれることが、何度もありました。

会社が違う。契約も違う。本当なら、お互いに余計なことは言わない方が無難なのかもしれません。それでも、技術者として困っている人を放っておけない人が、現場には確かにいました。会社や契約の垣根を越えて助け合えた、あの一瞬だけは、この仕事をやっていてよかったと思えました。

「これで明日から業務が回ります」

そうやって全員でしのいで、システムが無事に稼働した日のことは、よく覚えています。

クライアントの担当者の方が、わざわざこちらまで来て、こう言ってくれました。

「助かりました。これで明日から、業務が回ります」

たった一言です。でも、3ヶ月分の徹夜が、その一言で少しだけ報われた気がしました。自分の書いたものが、誰かの仕事を回している。この達成感だけは、何物にも代えがたいものでした。

道具が変わっても、現場を動かすのは人間だ

20年もこの業界にいると、技術の移り変わりの早さには驚かされます。

昔は力技で何時間もかけて解決していたことが、今はクラウドのサービスやAIのツールを使えば、一瞬で終わってしまうこともあります。20年前に必死で覚えた知識の多くは、今の現場ではもう役に立ちません。

ただ、どれだけ道具が進化しても、現場を動かしているのは人間だ、という事実は変わりませんでした。理不尽な要求を突きつけてくる上司も、無理な納期を押し付けてくる顧客も、いつの時代にも存在します。多重下請けの構造の末端にいれば、理不尽な扱いを受けるのも日常の一部です。それでも、自分の書いたプログラムが社会のどこかを支えている、という自負だけは、ずっと持っています。

月40時間で「今日は早く帰れる」と感じる感覚

今の現場は、あの物流移行の頃に比べれば、少しはましになりました。それでも、残業がゼロになることはありません。

月に40時間くらいの残業で済むと、「お、今日は早く帰れるな」と感じてしまう。書いていて自分でも思いますが、これはもう感覚が麻痺しています。本来、それでも十分多いはずなのに。

これから入ってくる人に一つだけ伝えるなら、ホワイトな環境かどうかは、面接で現場のエンジニアと直接話せるかどうかで、だいたい分かります。人事の人の綺麗な言葉ではなく、現場の人間が疲れ切っていないか、目が死んでいないか。そこを見てほしいと思います。

辞めようと思いながら、今も現場にいる

正直に言うと、辞めようと思ったことは、何度もあります。

それでも今の会社に踏み止まっているのは、40代になって家族を養う責任があるからです。そして本音を言えば、新しい環境に飛び込む勇気が、ないだけなのかもしれません。

ただ、長年積み上げてきたものがあるからこそ、現場で一目置かれる場面があるのも事実です。あの時、会議室の硬い椅子で仮眠をとりながら書いたコードが、今もどこかで誰かの役に立っている。そう思うと、少しだけ救われます。

学び続けることが苦にならない人にとっては、悪い仕事ではありません。問題を解きほぐすための考え方は、一生もので残ります。でも、心や体を壊してまで続ける価値のある仕事なんて、ひとつもない。限界を見極めて、時には休む。それも、長く生き残るために必要なことなんだと、20年たってようやく思えるようになりました。

冷めたコーヒーと、明日のリリース

今夜も、私は静まり返ったフロアで一人、こうして当時の記憶を掘り起こしていました。

キーボードを叩くこの感覚は、20年前から何も変わっていません。さっき淹れたコーヒーは、もうすっかり冷めてしまいました。

明日のリリースに向けて、もう少しだけ踏ん張ってみようと思います。これが、私が選んだシステムエンジニアの、ごく普通の一日です。

編集部より

この体験者が20年現場に残れている裏には、客先常駐(SES)という働き方の難しさがあります。単価は会社と会社の間で決まるため、現場で寝泊まりしてシステムを守り切っても、その貢献は末端エンジニア個人の年収や裁量には返りにくい。月350時間で年収500万円に届かないというギャップは、本人の能力ではなく、多重下請けのどの位置に立たされているかで決まってしまう面が大きいのです。

辞めるか続けるかを決める前に、まず「自分は今どこに立っていて、何なら変えられるのか」を一度棚卸ししてみてください。つらいと感じているなら、一人で抱え込まず、信頼できる人や下記の窓口に状況を言葉にするところから始めてみましょう。

20年選手のベテランほど、「このスキルで外に出て通用するのか」が分からなくなりがちです。転職を前提にせず、これまでの経験の棚卸しから整理したい方には、40代・50代に専門特化したキャリアコーチングという選択肢があります。
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そのほか、状況に合わせて選べる窓口を挙げておきます。

・退職交渉でもめそう、強い引き止めに遭いそうで不安な方は、弁護士の退職代行 → 弁護士法人ガイアの退職代行

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・心身が限界に近いと感じる方は、抱え込む前に、自分の気持ちを整理するセルフケアから → 心のAIパートナー【Awarefy】(自己理解・セルフケアアプリ)

公的な窓口としては、総合労働相談コーナー(厚生労働省)や、よりそいホットライン(0120-279-338)が無料で相談に乗ってくれます。

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