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新卒で入った地元の『優良企業』が子会社ブラックだった話|月100時間サービス残業・手取り20万

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毎月およそ100時間のサービス残業。それで手取りは20万円ほどでした。賞与を足しても年収は300万円。しかもこの数字、10年間ほとんど上がりませんでした。

戦前から続く、地元では「優良企業」と呼ばれていた会社です。これは、その立派な看板の裏側で、私が10年間働いた話です。

📌 体験者プロフィール

年代・性別:男性(体験当時22〜31歳)

業界・職種:電機メーカー(電気機器製造)/開発設計エンジニア

雇用形態:正社員

企業規模:大企業(大手電機メーカーの子会社・従業員約1000人)

在籍期間:10年

当時の立場・役職:開発設計担当(地元採用の生え抜き社員)

退職状況:退職済み(競合の大手企業へ転職)

体験形態:実体験ベース

※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。

戦前からある地元の「優良企業」の正体

私が新卒で入ったのは、地元では名の通った電機メーカーでした。仮にA電機としておきます。社員はおよそ1000人、売上は200億円ほど。戦前から続く歴史のある会社で、地元では「優良企業」として通っていました。

ただ、中に入ってみると、話はそう単純ではありませんでした。当時のA電機は、国内最大手の電機メーカーの子会社だったのです。社長から部長クラスまでは、その親会社から出向してくる人たちで占められていました。失礼な言い方になりますが、本社で持て余された人がA電機に流れてくる、そういう構図が確かにありました。

つまり、地元で採用された生え抜き組は、どれだけ頑張っても課長クラスまで昇格できれば良いほう、という会社だったわけです。私もそのコースで採用されました。最初から、ゴールに天井がある会社だったということです。

有名私大を出て、地元に戻った

そもそも私は、首都圏の有名私立大学の電気工学科を出ています。普通に考えれば、そのまま首都圏の大手企業に就職するのが自然な流れでした。

それでも地元に戻ったのは、実家が鉄工場と兼業農家をやっていて、私が長男、つまり跡取りだったからです。いずれは家を継ぐ、その前提で地元の会社を選びました。

今になって振り返れば、この「地元に拘った」という選択そのものが、失敗の入り口だったように思います。自分から選択肢を狭めてしまったんですね。

10年働いて、給料はほとんど変わらなかった

待遇の話をします。毎月の手取りはおよそ20万円。夏と年末の賞与がそれぞれ30万円ほどで、合計すると年収はだいたい300万円でした。そしてこの数字、勤続10年でほとんど変わりませんでした。

会社側の説明はいつも同じでした。「業績が厳しいから」。けれど今になって思うのは、本当は最初から、まともに払う気などなかったのではないか、ということです。低い賃金で雇えるだけ雇って、あとは責任感で回してもらう。私はその罠に、きれいにはまってしまった気がします。

当時の私は、若くて、生真面目で、責任感だけは人一倍強い人間でした。その真面目さや責任感を、ずる賢い会社にうまく利用されてしまった。情けない話ですが、今ではそう反省しています。

そこに毎月100時間ほどのサービス残業が乗っかってくるわけですから、時給に直したら、考えたくもない数字でした。

関連記事:【辞めた人の本音】サービス残業17のリアル|タイムカード偽装・裏帳簿・業界別の実態

「難しいものを、とにかく早く」——終わらない開発設計

仕事の中身は、電気機器の開発設計でした。大学で電気工学をやっていたので、その専門を活かせる配属ではありました。そこは良かったと思います。

つらかったのは、仕事の量と納期です。新しい案件が、次から次へと降ってきました。やってもやっても減らない。しかもお客さんの要求は、決まって「難しい新型の機器を、とにかく早く」でした。

難解なものほど時間がかかるのは当たり前なのに、納期だけは容赦なく短い。その板挟みの中で、毎月100時間のサービス残業が、いつのまにか当たり前になっていったわけです。

寮暮らしだけは、本当に楽しかった

ここまで散々書いてきましたが、良かったこともあります。一番はやはり、人でした。

A電機には、新卒は原則3年間は寮で暮らす、という慣習がありました。同期や同僚は本当にいい人ばかりで、寮はいつも賑やかでした。実家も近かったので、通おうと思えば通えたのですが、寮は安い別荘みたいなもので、居心地が良すぎたんですね。結局、私は6年も居座ってしまいました。

休みの日には仲間とあちこち出かけました。会社そのものはブラックでしたが、20代という時間だけは、この仲間たちのおかげで楽しく過ごせたと思っています。

三年ごとに、人が辞めていく

辞めたい、と本気で思う波は、だいたい3年周期でやってきました。理由ははっきりしています。人がいなくなるからです。

もともと、ギリギリの人数で開発を回していました。そこに3年周期くらいで、同僚や先輩、後輩が辞めていく。補充が来るまでの間、残された少ない人数で、減らない膨大な業務を抱え込むことになります。当然、追い込まれます。

そしてしばらくすると新しい人が入り、少し落ち着いたと思ったら、また誰かが辞めていく。完全に無限ループでした。私自身、3度目に「もう無理だ」と思ったとき、転職先を決めて、10年お世話になった会社を辞めました。

辞めた決め手は、全部が自分に回ってきたこと

退職を決めた直接のきっかけは、信頼していた先輩や後輩が立て続けに辞めてしまい、その人たちのやり残した仕事が、ことごとく私のところへ回ってきたことでした。

正直に言うと、こういう職場で生き残れるのは、上司に何を言われても、取引先に何を言われても、自分のペースを崩さない、精神的に強くて図太い人だけだと思います。でも、そんな人はなかなかいません。少なくとも私は、そうではありませんでした。

転職そのものは、わりとあっけないきっかけでした。なんとなく登録してみたネットの転職サイトで、条件のいい会社をたまたま見つけた。それだけのことです。

競合の大手に移って、ややホワイトになった

転職先は、同じ業界で競合にあたる大手企業の開発部門でした。

長時間労働という点では、正直、あまり変わりませんでした。ただ、決定的に違ったのは、残業代がきちんと全額出ることです。代休も取れるし、休暇も増えました。結果として、収入は増えて、休みも増えた。ブラックから、ややホワイト寄りへ。そのくらいの改善は、ちゃんと感じられました。

転職前の会社と比べれば、最初の頃は本当に、雲泥の差でした。

それでも、20年後に同じ結末を迎えた

ただ、いい話はそう長くは続きませんでした。

転職先も、時間が経つにつれて、だんだん前の会社と同じような空気になっていったのです。そして20年が経った今、最終的には、似たような結末を迎えました。

似たような結末、というのには理由があります。実は、転職前の会社も、転職後の今の会社も、どちらも外資に売却されてしまったのです。賃金は下がり、労働環境は悪くなる一方で、いつリストラされるかと怯えながら、日々を過ごしています。

低成長の日本にいる限り、世界と激しく競争しなければならない電気機器の業界には、明るい話はなかなかないのだと、今は感じています。

関連記事:カスタマエンジニア40年で限界|3日連続徹夜と『サボってばかり』の地獄

10年を振り返って、得たものと失ったもの

10年を振り返って、得たものを挙げるとすれば、電気電子制御の技術が身についたことです。これは間違いなく、財産になりました。

人間関係について言えば、日本の会社は基本的に年功序列ですから、同じ会社に長くいたほうが確実に得をするのも事実です。

メリットを無理にでも探すなら、「ブラック企業というものを、身をもって体験できた」ことでしょうか。ただ、これは裏を返せば、ブラック企業で無駄な時間を費やしてしまった、というデメリットと、ちょうど表裏一体です。得と損が、きれいに打ち消し合ってしまう感覚があります。

環境そのものは、同僚がいい人ばかりで、案外、居心地は良かった。でも待遇は、低賃金と長時間のサービス残業で、会社から得られるものとしては最悪でした。今でも、ずいぶんとセコい会社だったな、と思い出します。

これから就職する人へ、伝えたいこと

最後に、これから働き始める人に伝えたいことを書いておきます。

日本にいる限り、会社の組織体制というものは、そう大きくは変わらない文化だと思います。だからこそ、世界と競争しなければ生き残れない業界に飛び込むと、なかなか勝てません。私のいた電気機器の世界が、まさにそうでした。

もし安定を求めるなら、比較的、国に守られている業界トップの企業か、大手商社、あるいは公務員——このあたりが手堅いのは、今も昔も変わらないように思います。

もちろん、それを全部わかったうえで、覚悟して敢えて茨の道を選ぶ、という生き方もあります。それはそれで、一つの選択です。ただ、最後に決めるのは、ご自身です。私のこの話が、その判断材料のひとつにでもなれば、嬉しく思います。

編集部より

この体験談には、大手電機メーカーの子会社で働く人がぶつかる構造がよく表れています。社長から部長まで親会社からの出向で占められ、地元採用の生え抜きは課長止まりと、昇格にあらかじめ天井が設けられている。意思決定は親会社の都合で動き、納期とコストの皺寄せは子会社の開発現場に集まる——「難しいものを、とにかく早く」という板挟みは、その典型です。そこに月100時間規模のサービス残業が常態化していました。これは労働基準法37条に明確に反する行為で、「業績が厳しいから」は賃金を払わない理由にはなりません。

3年周期で人が辞け、残った少人数に膨大な業務が集まる無限ループは、本人の頑張りでどうにかなるものではありません。この方は最後に「あなたの技術は、その会社の中だけで通用するものではない」と書いています。長く居続けることだけが正解ではないし、未払い賃金は在籍中でも退職後でも一定期間さかのぼって請求できます。今いる場所がすべてだと思い込む前に、一度外の景色を見てみてください。

困った時の選択肢

【「ここが普通なのか」と感じ始めた方へ】

「この働き方は本当に普通なのか」と思い始めたら、まずは外の会社を知ることから始めてみてください。この体験談の方も、なんとなく登録した転職サイトで条件のいい会社を見つけ、競合の大手へ移って残業代も休みも増えました。ワンキャリア転職は、他社の年収や選考体験談を口コミで確かめられるサービスです。辞める・辞めないを決める前の、情報集めに使えます。

他社の年収・口コミを知る【ワンキャリア転職】

そのほか、状況に合わせて選べる窓口を挙げておきます。

・上司や会社に辞意を伝えづらい方は → 退職代行という選択肢があります。男性向けは 男性の退職をサポートする退職代行(運営:合同労働組合toNEXTユニオン)、性別を問わず使えるのは 弁護士法人ガイアの退職代行 です。

月100時間規模のサービス残業や未払い賃金に心当たりがあるときは、労働基準監督署や総合労働相談コーナー(厚生労働省)で無料相談できます。未払い賃金は一定期間さかのぼって請求できます。つらさが続くときは、よりそいホットライン(0120-279-338)も24時間無料で相談に乗ってくれます。

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