「顧客満足第一」――これは多くの高齢者施設が掲げる、立派な看板です。
けれど、その看板の下で従業員はどんどん削られていきます。慢性人員不足、休みが取れない、サービス残業、有給取得NG。それでも「お客様のために」と踏ん張り続け、ある日ふと気づくのです。私たちは、決して満足することのない沼の底にいるのだ、と。
これは、顧客満足第一主義を掲げる高齢者施設で介護職員として2年半働いた、40代女性Aさんの話です。
引っ越しがすべての始まりだった
40歳半ばのとき、ようやく便の良くて住みやすそうな物件を見つけました。けれど通勤には不便な立地で、電車もバスも使えず、徒歩圏内にも職場がありません。自転車でどうにか通える距離にあった高齢者施設に入社を決めたのが、すべての始まりでした。
それまでも別の高齢者福祉施設で介護の仕事を続けてきていたので、引っ越したばかりの不慣れな土地ではあるものの、軽い気持ちで飛び込んだ職場でした。
このときの待遇はこんな感じです。
当時の待遇
・年収:約290万円
・基本給:月12〜13万円
・ボーナス:夏15万円・冬17万円
・雇用形態:正社員
決して恵まれた条件ではありません。それでも「介護の経験はあるから大丈夫だろう」とどこかで楽観していたのです。
朝礼夕礼で待ち構えていた女性ケアマネジャー
入社して最初に驚いたのは、毎日の朝礼30分・夕礼30分にランダムで参加しなくてはならない決まりでした。1日の始まりと終わりに申し送りをするという業務です。
申し送りは1人あたり5分程度にまとめなくてはなりません。当時のAさんはまだ慣れず、上手くまとめきれずに時間を超過してしまう失態をよくやらかしていました。
そこに目をつけてきたのが、ある女性ケアマネジャーでした。普段は存在感が薄く、誰にも気にされないような物静かな人だったのですが、申し送りの場になると豹変するのです。
他部署の従業員も同席している場で、ツッコミどころ満載とばかりに大声で間違いを指摘してきます。新人時代のAさんは何度も大恥をかかされ、苦い記憶として今も残っているそうです。
普段の地味で物静かな印象と、申し送りの場での豹変ぶり。その二面性のギャップこそが、Aさんを精神的に追い詰める要因のひとつでした。
1日が運動量との戦い
高齢者施設の介護職は、想像以上に体力勝負の仕事です。朝から晩まで、ほぼ早足ウォーキングと同じ強度で動き続けなくてはなりません。
全身の持久力を高めるための早足ウォーキングは、一定のリズムで「ハアハア」と呼吸できるレベルの強度で長時間続ける有酸素運動。介護職の現場は、まさにそれに近いのです。気づけば体力の維持と増進が自然と図られている、ある意味では健康的な職場とも言えます。
ただし、生まれつき虚弱体質で疲れやすい人には絶対に向きません。特に女性にはおすすめできない仕事です。
職場の独身20代女性ですら「家に帰る頃にはクタクタで、もう寝るだけ」と話していました。子育て中のママさんは辛うじて時短勤務でしのぐのが精一杯。フルタイムで働いて家事育児まで回せる人は、ほぼ見当たりませんでした。
ゴールの見えないCALL対応マラソン
介護職員にとって最大の負担となるのが、CALL対応です。
1時間おきに顧客の居室を巡視して安否確認する業務に加え、居室からのCALLにも即時対応しなくてはなりません。企業理念は「顧客満足第一」。どんなに忙しくても、呼ばれたら即対応が基本中の基本でした。
CALLの内容は本当に多様です。
・「不安だから来てほしい」という呼び出し
・「間違えてCALLボタンを押してしまった」というケース
・「CALLボタンは押してないけど勝手に鳴った」という訴え
これらが引っ切り無しに発生し、居室から居室へと走り回ることになります。さらに、認知症由来の「不穏・妄想・徘徊・弄便行為」への対応まで重なると、もはやゴールの見えないマラソン状態。心臓破りの重労働、というのが当時のAさんの実感でした。
「顧客満足第一主義」の構造はサービス業全般に通じる問題です。ビジネスホテル業界でも同じ「お客様は神様」というシステムで従業員が苦しんでいる実例があります。詳しくは駅前ビジネスホテルでフロント10年|お客様は神様の地獄とボーナス返金システムの闇で解説しています。
ハイリスクローリターンな反サステナブル構造
介護職の現場は、構造そのものが反サステナブルだとAさんは振り返ります。
例えば、高齢者1人につき朝昼夕の3回の食事があるとします。居室から食堂までを3往復する計算です。さらに、排泄介助、入浴介助、衣服の着脱介助が加わります。
少ない従業員で多人数の高齢者を介護し、移動させる行為そのものが、もう持続不可能なのです。お金さえ支払えば解決する、というレベルの話ではありません。
従業員側が背負うリスクは多岐にわたります。
従業員が抱えるリスク
・うつ・不眠などのメンタル不調
・腰痛・膝痛などの身体的故障
・追い詰められた末の虐待リスク
・感染症リスク
これだけのリスクを抱えながら、基本給は12〜13万円。潰れたら終わり、という形で使い捨てされていく構造です。
「人にやさしい仕事」と思われがちな介護職ですが、肝心の従業員に対してはまったくやさしくない――それが現実でした。
なお、同じ介護職でも医療法人の老健で10年勤務されている方の体験談もあります。組織形態が違うと「ブラック」と「ホワイト」の出方も違ってくるので、介護職を検討中の方はぜひ併せて読んでみてください。
体力と企画力は確実に身につく
ここまでブラックな面ばかり書いてきましたが、メリットも確実にあります。
朝な夕なに高齢者の足代わりとして動き続けるため、体力は自然とつきます。むしろ求められると言ったほうが正確です。
そして「顧客満足第一」を掲げる施設なので、顧客のためのイベントを企画することも仕事のうちでした。少ない予算で顧客に満足してもらえる企画書を提出し、実行に移すまでの労力は計り知れません。
ただ、高齢者の喜びの声や笑顔が一瞬でも垣間見えるのは、この仕事ならではの瞬間です。企画力を求められる環境で、確実に企画する力は鍛えられました。退職後の今も、この企画力は別の場面で生きていると感じているそうです。
唯一の救いはカリスマ女施設長とチームワーク
入社してみて気づいたのは、職場に20代から40代の才気煥発な個性的な女性従業員が多く在籍していたことでした。
そして何より、クール・ビューティーなカリスマ性を持った女性の管理者兼施設長――B施設長の存在は、職員みんなの憧れでした。
感情的な女性ケアマネジャーを除けば、チームワークは抜群でした。コミュニケーションも問題なく取れ、人間関係の良好さは働くモチベーションに直結していました。
「人間関係の良し悪しが、ブラック職場で踏みとどまれるかどうかを決める」というのは、退職後にAさんが何度も思い返す教訓です。仲間とカリスマ施設長がいなければ、もっと早い段階で限界が来ていたかもしれません。
顧客満足第一主義の沼から抜け出した日
退職を決めたのは、ある意味では離脱でした。逃げ出したのではなく、抜け出したのです。
果たして、人が満足することなどあるのでしょうか。CSAT――顧客満足度の沼にハマると、なかなか抜け出すのも難しくなります。
顧客の期待にどれだけ応えられるのか。どれほど多くの心を掴めるのか。それを追求しすぎると、従業員側の不満足につながっていきます。
慢性人員不足、休みが取りづらい、サービス残業、有給休暇取得NG――これらが積み重なった末に、Aさんは呆然とした状態で退職を決断しました。
「顧客のため」という看板の下で従業員が削られ続ける構造に、もう自分の体力と精神力を捧げることはできない。そう判断したのです。
これから介護職を目指す人へ
最後に、これから高齢者施設での介護職を目指す人へ伝えたいことがあります。
介護の仕事自体には、確かにやりがいがあります。高齢者の笑顔、感謝の言葉、企画イベントでの一瞬の輝き。それらは確かに本物です。
ただし、施設選びは慎重にしてください。特に「顧客満足第一」を強く掲げる施設は要注意です。耳触りはいいのですが、その理念が従業員側にどれだけ無理を強いているかは、入ってみないと分かりません。
見学時にチェックしてほしいポイントを挙げておきます。
入社前に確認したいポイント
・職員の平均年齢と勤続年数
・有給取得率の実態
・残業時間と申し送り時間の扱い
・1人当たりの担当利用者数
・施設長やケアマネジャーの普段の様子
これらをしっかり聞いて、納得してから入社を決めてください。
引っ越しが先でも、職場が先でも構いません。ただ、「自転車で通える」という理由だけで職場を選ぶのは、正直あまりおすすめできません。
顧客満足第一主義の沼にハマる前に、自分自身の満足度を守ってください。それが、長く介護の仕事を続けるための一番の秘訣です。
民間の介護施設には、別のブラックパターンもあります。「家庭的」を売りにした家族経営の介護施設で新卒2年働き、火傷の対応をきっかけに退職を決めた女性の体験談はこちら。

