執筆者に支払う印税を、発行部数をごまかして安く済ませる。
本当はもっと刷っているのに、少なく申告して差額を会社の側に残す。1件1件は小さな額でも、積み上げれば十分に詐欺と呼べる金額でした。その作業を、私はある時期から何の疑問も持たずにこなしていました。心が痛むこと自体に、だんだん慣れていったのです。
📌 体験者プロフィール
・年代・性別:40代後半男性(体験当時20代〜30代)
・業界・職種:出版社の編集職
・雇用形態:正社員
・企業規模:中小企業
・在籍期間:約10年
・退職状況:退職済み(現在は社会福祉法人の事務職)
・体験形態:実体験ベース
※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。
「出版社で本を作りたい」その一心で飛び込んだ
大学を卒業するとき、私は「出版社で本を作りたい」という熱い気持ちを抱えていました。幸いにも希望どおり出版社に就職できたときは、本当にうれしかったのを覚えています。若かった、というより青かったのだと思います。仕事を頑張りたい、スキルを上げたい、そんな気持ちだけで頭がいっぱいでした。
ただ、時代は良くありませんでした。就職氷河期と呼ばれた世代で、出版業界自体も不況だと言われていた頃です。入社の前年までは業績も右肩上がりだったらしいのですが、私が在籍していた約10年間は、ずっと右肩下がりでした。
業績の低迷が会社のブラックさに拍車をかけたのか、ブラックな体質だから業績が落ちたのか。にわとりが先か卵が先か、今となってはわかりません。ただ、私が入った頃にはもう、いろいろなものがおかしくなり始めていたのだと思います。
「残業代」という概念がない会社だった
私が経験した出版社には、まず「残業代」という概念がありませんでした。
経営者側の言い分は「時間内に終わる業務しか任せていない」。けれど実際は、デフォルトで終電帰宅、忙しくなれば徹夜と土日出勤の対応で、とてもではないですが休息など取れませんでした。
入社5年目に労働基準監督署の指導が入り、それ以後は残業代が支払われるようにはなりました。とはいっても、会社に残れなくなっただけで、自宅に持ち帰ってサービス残業をする形に置き換わっただけでしたが。
過去2年分の残業代を会社に請求した同僚がいました。その同僚は、社内でも最も過酷な部署にすぐ異動させられました。それを見た大半の社員は、未払いの残業代を請求しないまま終わりました。私もその一人です。声を上げることのリスクを、全員が見せつけられたのです。
関連記事:【辞めた人の本音】サービス残業14のリアル|タイムカード偽装・裏帳簿・業界別の実態
同意しない社員を、会議室に詰める「面談」
労働条件そのものは、入社時には割と明確だったと思います。問題は、その後でした。
会社勤めの途中で、就業規則を労働者に不利益な方向へ変更することになりました。本来であれば労働者の過半数の同意が必要な場面です。ところが会社は、同意しない社員を一人ずつ会議室に呼び、長時間にわたって面談を続けました。
形のうえでは「話し合い」です。けれど実態は、同意するまで解放されない圧迫面談でした。結局、経営陣は思いどおりに事を運んでいったのだと思います。
有給休暇の申請用紙を、役員に破られた日
ハラスメントも、結構な頻度でありました。担当役員や部課長が一緒になってセクハラ・パワハラを繰り出すため、課内の女子社員の半数が退職してしまった年もあったほどです。
私自身、忘れられない出来事があります。有給休暇の申請用紙を担当役員に出したところ、その場でビリビリに破られ、「有給休暇って、何事や!」と、映画の敵役のように凄まれたのです。正直、結構ビビってしまいました。
たぶん、その日の役員の機嫌が悪かっただけなのだと思います。けれど、社員の権利が一人の気分で踏みにじられる。そういう会社でした。
印税をごまかす作業に、心を殺して向き合った
そして、私が一番困ったのが、違法行為への加担でした。
執筆者に支払う印税を、発行部数をごまかして安く済ませる。これが、当たり前のように行われていました。本当はもっと刷っているのに、帳簿上は少なく見せる。その差額が、執筆者ではなく会社の側に残るわけです。
1件1件で見れば、少ない額かもしれません。けれど、これを何件も何年も積み重ねれば、トータルでは十分に詐欺と呼べる金額になります。本を書いてくれた人に正当な対価が渡らない。その作業を自分の手でやっている。本当に、心が痛かったです。
それでも、私はやり続けました。「これが仕事だから」と、自分に言い聞かせて。
「自分だけは大丈夫」――慣れは、洗脳に近かった
このようなブラックな環境でも、心の持ちよう一つで何とか勤務は続けられていました。体調を崩して辞めていく人も多かったのですが、「自分だけは大丈夫」という、根拠のない過信があったのだと思います。
今になって振り返ると、私は肉体的にも精神的にもこの会社にすっかり慣れてしまっていました。おかしいことを、おかしいと感じられなくなる。心が痛んだはずの印税の作業にも、いつの間にか何も感じなくなる。
それはもう、慣れというより、一種の洗脳に近い状態だったのではないかと思います。異常な環境のなかにいると、その異常さが「日常」に上書きされてしまう。自分の感覚が壊れていることにすら、気づけなくなるのです。
関連記事:編集プロダクションで受けたセクハラ会議とパワハラ|マスコミ業界の闇と新卒1年
10年目、プツンと糸が切れた
「自分だけは大丈夫」。そう思い込んでいた私でしたが、体は正直でした。
入社して10年目、まるでプツンと糸が切れるように、夜、眠れなくなってしまいました。布団に入っても頭が休まらない。朝が来ても、体が起き上がらない。
それでも私は、心療内科でお薬を処方してもらいながら、勤務を続けてしまいました。今思えば、ここで一度立ち止まるべきでした。けれど、慣れて麻痺していた私には、「休む」という選択肢そのものが頭から抜け落ちていたのです。
もっと健康なうちに、戦略的に考えればよかった
眠れない日々のなかで、私は将来を悲観し、焦って転職活動を始めました。
けれど、景気はまだ良いとは言えない時期です。応募した企業からは、場当たり的な転職だと見られていたのかもしれません。目立った成果は得られませんでした。
今でも強く後悔しているのは、ここです。もっと健康なうちに、もっと冷静なうちに、自分のキャリアを戦略的に考えておけばよかった。眠れなくなって追い詰められてから動くのではなく、まだ判断力があるうちに、次の一手を組み立てておくべきでした。
結局、不眠の悪化もあって転職先が決まらないまま、私はその会社を退職しました。
同じ業界で、ここまで違うのか
退職後はしばらく静養しました。そのあと、現役時代にお世話になっていた取引先に拾っていただく形で、同じ業界に再就職することができました。
仕事の厳しさそのものは、前職と大きく変わりません。けれど、不思議とブラックさをほとんど感じませんでした。風通しの良い体質だったからか、トップに立つ人が人格的に優れていたからか。同じ業界でも、ここまで雰囲気が違うのかと、心底驚きました。
あの頃の私は、ブラックな会社に長く勤めるうちに、すっかり視野が狭くなっていたのだと思います。「業界とはこういうものだ」「どこも同じだ」と思い込んでいた。でも、そんなことはなかった。同じ仕事でも、まともに人を扱う場所はちゃんとある。それを知れたのは、退職して、外に出てみてからでした。
現在は、また違う仕事に就いています。あの10年は、決して無駄ではなかったと思いたい。けれど、もし同じ場所にいる人がいるなら、伝えたいことがあります。慣れてしまう前に、自分の感覚がまだ生きているうちに、一度立ち止まってほしい。それは、逃げではないのです。
編集部より
この体験談の核心は、違法行為への加担すら「慣れ」てしまう感覚の麻痺にあります。発行部数をごまかして印税を不当に圧縮する——心が痛んだはずの作業に、いつの間にか何も感じなくなる。異常な環境に長くいると、その異常さが「日常」に上書きされ、自分の感覚が壊れていることにすら気づけなくなります。残業代を請求した同僚がすぐ過酷な部署へ飛ばされ、周囲が沈黙を選んだ挿話も、声を上げにくい空気の作られ方を示します。麻痺は、不眠という形で体に出てから初めて気づくことが多く、動くのが遅れるのは弱さではなく、麻痺が判断力を奪うからです。
この方が一番悔やんでいるのは、追い詰められてから動いたことでした。判断力が残っているうちに次の一手を考えておけば、選択肢はもっと広かったはずだ、と。だからこそ伝えたいのは、慣れて感覚が麻痺しきる前に、一度立ち止まってほしいということです。同じ業界でも、まともに人を扱う会社はちゃんとあります。今いる場所がすべてではありません。立ち止まることは、逃げではありません。
困った時の選択肢
【追い詰められる前に、これからの働き方を考えておきたい方へ】
「もっと健康で判断力があるうちに、戦略的にキャリアを考えればよかった」——これは追い詰められてから動いた方の後悔です。40代・50代でこれまでの経験を棚卸ししながら今後を考えたいなら、転職を前提にせずに相談できるキャリアコーチングという選択肢があります。キャリフトは、経験の整理から今後の方向性を一緒に考えるサービスです。
→ 経験の棚卸しから始めるキャリア相談【キャリフト】(40〜50代)
そのほか、状況に合わせて選べる窓口を挙げておきます。
・有給を破られる、圧迫面談を受けるような環境で、自分から「辞めます」と言い出しづらい方は → 退職代行という選択肢があります。男性向けは 男性の退職をサポートする退職代行(運営:合同労働組合toNEXTユニオン)、性別を問わず使えるのは 弁護士法人ガイアの退職代行 です。
・「同じ業界でも会社で全然違う」を、辞める前に他社の口コミで確かめておきたい方は → ワンキャリア転職(口コミ・選考体験談で他社のリアルを知る)
・眠れない、感覚が麻痺していると感じる方は、抱え込む前に自分の状態を整理するセルフケアから → 心のAIパートナー【Awarefy】(自己理解・セルフケアアプリ)
残業代の不払いや、印税のごまかしのような違法行為に心当たりがあるときは、総合労働相談コーナー(厚生労働省)で無料相談できます。つらさが続くときは、よりそいホットライン(0120-279-338)も24時間無料で相談に乗ってくれます。
