あの倉庫で働いていた人たちは、みんな目が死んでいた。
これは10年前、Amazon倉庫(現在のフルフィルメントセンター・FCにあたる施設)でアルバイトをしていたときの記憶です。当時は「アマゾンデポ」と呼んでいた気がしますが、業務内容は今のFCと変わりません。重いワゴンを毎日引きずり、護送車のようなバスで運ばれてくるスタッフたち、そして数年経ってネットで見つけた「世界最悪の経営者」選出の記事——あの頃の現場をいま思い返してみます。
📌 体験者プロフィール
・年代:当時20〜30代頃
・性別:男性
・職種:Amazon倉庫(当時の呼称はアマゾンデポ・現在のFC相当)アルバイト
・時期:約10年前
・現在:退職済み
※プライバシー保護のため一部の情報は省略しています。
目が死んだスタッフたちと「護送車」のようなアマゾンバス
Amazon倉庫はだいたい臨海部か、山奥に建っています。理由は単純で、地代が安いから。広大な敷地が必要な物流拠点としては合理的な選択ですが、その結果として、近隣に住人がほとんどいないエリアに巨大な箱がポツンと立っている状態になります。
人手不足はもう常態化していました。日々の入出庫オーダーをこなすには、とにかく人を集めなければなりません。だから各地から派遣会社経由で集められたスタッフたちが、毎日アマゾン専用のバスで運ばれてきます。
そのバスに乗ってくる人たちの顔を、いまもよく覚えています。
目が、死んでいるんです。
誰一人として朝の挨拶を交わすこともなく、黙々と席に座って倉庫まで運ばれていく。あれは護送車だな、と当時の僕は何度も思いました。
ただ、そんな空気の中でも陽気な一群がいたのは救いでした。国籍は確かではないものの、おそらくラテン系の方々。大声で笑い、冗談を飛ばし、僕らの周りの空気を少しだけ柔らかくしてくれていました。今でも彼らの声が耳に残っています。
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入荷地獄と棚への仕分け作業——息も絶え絶えで引きずるワゴン
倉庫の中はとにかく荷物が溢れていました。
毎日入ってくる入荷量があまりに膨大で、倉庫の中に収まりきらない分が屋外のプラットフォームに積みあがっていきます。同時に、出荷用のトラックも足りていなかった。出すべき荷物も、入ってくる荷物も、両側からスペースを圧迫していく毎日です。
仮倉庫に荷物を受け入れたあとは、棚への仕分け作業が待っています。当時はこの仕分けも全部手作業でした。ある程度の種類ごとに分けたワゴンを引きずって、保管棚のところまで持っていく。そこで一つひとつの商品を棚に投入していきます。
このワゴンが、とにかく重かった。
息も絶え絶えになりながら、それでも次から次へと運んでいかないと作業が回らない。腕がパンパンに張った状態で、毎日同じことを繰り返していました。
即出荷の指示と圧迫され続けるスペース
注文オーダーが入れば、当然ながら即出荷です。
指示が飛んだら全力で保管棚まで走り、商品をピックアップして、梱包作業に取りかかります。梱包が終わると、当然ながら荷物の体積は元より大きく膨らみます。つまり、ピッキング前は棚の中にあった商品が、梱包後はフロアの梱包済みエリアに積み上がる形で、スペースをさらに圧迫し続けるわけです。
入る側も出る側も処理が追いつかない。
全てにおいて余裕のない現場でした。
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ITUCが告発した労働環境と「世界最悪の経営者」選出
実は、当時のAmazonの労働環境は、アメリカ本国や世界各国の労働組合(ユニオン)から繰り返し指摘されていました。あるメディアの潜入ルポでは「物流センター内では、一日10時間で17キロ歩かされていた」という情報も出ていました。
当時の僕は必死すぎて、自分が一日にどれだけ歩いているかなんて考える余裕もなかった。でも、辞めてから数年経って、ふとネットを見ていたときに目に入った記事に手が止まりました。
世界中の労働組合の国際組織である国際労働組合総連合(ITUC)が実施したアンケートで、「世界最悪の経営者」にAmazon創業者のジェフ・ベゾス氏が選ばれていた——というニュースでした(2014年のITUC調査で公表された結果です)。
「あ、やっぱりそうだったのか」
その瞬間、自分の腕が当時の重いワゴンの感触を思い出した気がしました。
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精神を崩していった仲間たちと、消えていった同僚
倉庫で働いていた頃の自分は、まるで独楽鼠のように動き続けていました。
昨日まで隣で同じ作業をしていた仲間が、翌日にはもういない。これがほぼ毎日起きていました。だから自然と「仲間意識」のようなものは生まれにくい現場でした。長く働き続けている人たち同士はどうだったのか、いまでもわかりません。
毎日17キロ歩き、身体に応える重さのワゴンや台車を引きずり続ける。あれはもう、奴隷労働とか苦役という言葉でしか言い表せないような感覚に近かったと思います。肉体的負担と精神的負担、そして「いつケガをしても、いつ体調を崩してもおかしくない」という常時の不安。
実際、長くいるスタッフの中には、明らかに参っているように見える人がいました。なぜか独特の感性で物事を進めるせいか、周囲とのトラブルが絶えない人もいました。
彼らは今どうしているのか。
一般社会に戻ったのか、それともまだあの広大な倉庫の一角で働いているのか。もはや知るすべはありません。
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退職後10年、振り返って思うこと
退職してから10年が経ち、Amazonの倉庫もずいぶん自動化が進んだと聞きます。新型コロナの巣ごもり需要でECがさらに伸び、業界全体での人材の取り合いから、Amazonの時給も以前より高くなっているそうです。
それでも、ブラック企業の烙印が完全に消えたとは言えないでしょう。なぜなら、僕も含めて当時の現場を経験した人間が、いまだに口を開けば似たような証言をするからです。インターネットの拡散力を考えると、現場経験者が「普通の感覚」で語る限り、悪評は止まりません。
これらを「ただの愚痴」と切り捨てるのは簡単です。でも、大企業ほどその口を塞ぐためにコストをかけている事実があるなら、本末転倒ではないかと思うのです。そのお金で現場の自動化をもっと進めれば、根本的に労働環境は改善できるはず。そうでなければ近い将来、Amazon倉庫で働く人材が枯渇して、商品の入出荷が機能しなくなる日が来てもおかしくありません。
ベンチャー時代のAmazon——つまり創業者の目が現場まで届いていた家族的な企業文化があった頃——は、もっと違ったらしいと聞きます。ただ、いまや巨大な多国籍企業となり、コロナ禍でさらに需要が膨らんだ現場は、抜本的な改革なしにはブラックの烙印から抜け出せないでしょう。
10年前、護送車のようなバスで運ばれていたあのスタッフたちの目が、今は少しでも生きているといいなと思います。
編集部より
この体験談の核は、冒頭の「目が死んでいた」という像に凝縮されています。地代の安い臨海部や山奥に建つ巨大倉庫へ、護送車のようなバスで運ばれ、黙々と17キロを歩く。昨日まで隣にいた仲間が翌日には消えている——使い捨てを前提にした入れ替わりの速さが、仲間意識すら生まれない現場を作っていました。そして書き手が突くのは、ITUCに「世界最悪の経営者」と名指しされた経営の倒錯です。批判の口を塞ぐためにコストをかけるくらいなら、そのお金で自動化を進めれば現場は変わるはずだ——10年経っても元従業員の証言が止まらないのは、その本末転倒が放置されてきたからだと読めます。
10年前の話ですが、派遣の入れ替わりの速さやピーク時の負荷集中は、現場の声を聞く限り完全には消えていません。倉庫や物流の仕事で「使い捨てられている」と感じるなら、その違和感は記録に値します。より安定した足場や、別の職場を探すことは、わがままではありません。
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