夢の中で、また同じテストケースを消化していた。
「あのケース、まだ消化してなかったかも」と焦って目を覚ます。時計を見るとまだ夜中の3時で、ようやく現実だと気づいて天井を見上げる。明日もまた、朝8時半に客先のオフィスのデスクに座る。これは、SES・客先常駐のJAVAエンジニアとして17年働き、最後の現場で10年を過ごした私の話です。
📌 体験者プロフィール
・年代:40代(大卒からSEとして17年、最後の現場入りが30歳、退職時は40歳前後)
・業界・職種:SES・客先常駐のJAVAエンジニア(前職)→ 別業界のシステム管理部門(現職)
・雇用形態:正社員(裁量労働制・年俸制)
・所属企業の規模:従業員数十名規模の中小IT企業
・現場の構造:大手SIer元請け → 一次請け → 所属(二次請け)→ 孫請け末端でチームリーダー
・最後の現場での在籍期間:10年(SE経験合計17年)
・年収:約480万円(年俸を12カ月分+ボーナス4カ月分に16分割、残業代なし)
・家族構成:既婚、子供あり(高校・大学進学が見えてきた時期)
・現在の状況:別業界のシステム管理部門で勤務中(現職継続中)
・体験形態:実体験ベース
※プライバシー保護のため、個人が特定されない範囲で仮名化・一部詳細を変更しています。
30歳でこの現場に入った日のこと
大卒から数えて17年、私はずっとシステムエンジニアでした。自社作業、複数のSES現場を経験して、30歳になるタイミングで今回振り返る現場に入りました。そこから退職するまでの10年。長かったのか、短かったのか、いまでもよくわからない。
所属していたのは、従業員数十名規模の中小IT企業です。ただ、実態としては大手メーカー系の大規模システムに、孫請けの立場で常駐していました。元請けは誰でも名前を知っている大手SIer。その下に一次請けの企業がいて、私が所属するのは二次請け。三層構造の末端から現場に投入される、典型的なSESの形でした。
それでも現場では、チームリーダーとして機能していました。所属企業の中での立場と、客先での立場が一致していない状態です。責任と待遇が噛み合わない時間は、ここから始まりました。
朝8時半、チケット管理ツールを開くところから
朝のスケジュールは、ほぼ毎日同じでした。8時半には客先のオフィスに着席。パソコンを立ち上げて、まずチケット管理ツールを開く。前日中に上がった障害票や仕様確認のチケットに目を通して、今日やることを頭の中で並べる。
大手メーカー系の現場なので、進捗管理と品質管理がとにかく厳しい。スケジュールを守るためなら残業は当たり前で、誰も「残業しない選択肢」を持っていない空気でした。
設計フェーズでは、必要な資料が細かく定義されていて、レビューも二重三重に通さないと先に進めません。一次請けのレビューを通して、元請けのレビューを通して、ようやく「OK」が出る。資料1枚に2週間かかることもザラでした。
開発フェーズに入ると、ステップ数ベースで進捗が管理されます。「今週中に〇〇ステップ実装」という数値目標が常にあって、ステップ数が設計時から大幅に増減した場合には、その要因と、品質への影響有無を都度報告しないといけない。自分のコードを書きながら、その横でチームメンバーから「ここの仕様、どう解釈すべきですか」と質問されて手を止める。集中したい時間ほど、質問が飛んでくる構造です。
テストフェーズになると、見る数字がまた変わります。テスト項目数、消化率、障害発生率、再テスト消化率。これらが朝の進捗確認会議のベースになる。自分のテストを消化しながら、メンバーの消化状況も把握して、遅延が出ていれば翌日の割り振りを組み直す。退社時刻は20時から22時超えがほとんどで、残業時間は月45時間から60時間あたりを行ったり来たりしていました。
システムの導入期間には深夜作業も入ります。世の中にサービスとして公開された日は、確かにやりがいを感じました。ただ、そのぶん不具合が出たときは大変で、当時のツイッター(現X)で「使えない」「ふざけるな」みたいな批判がガンガン流れてくるのを横目に、原因調査と対応にあたることになる。世間からの視線がそのまま自分たちのデスクに飛び込んでくるような感覚でした。
夢の中まで続いていったテスト消化
テスト期間中は、深夜まで作業が続く日が増えていきます。家に帰ってベッドに入っても、頭の中では障害のトレースログがゆっくり流れている。眠ろうとしているのに、勝手にコードが脳裏で動いていく感じ、と言えば伝わるでしょうか。
そのうち、眠りに落ちた後も夢の中でテストを消化するようになりました。「あのケース、消化したっけ」と夢の中で焦って、目が覚めて、現実に戻る。何日か続いた頃には、寝ているのか起きているのか分からない時間が増えていきました。
精神的な疲弊もありました。ただ、それよりじわじわと効いてきたのは、別の感覚です。「これ、割に合わないな」という、もっと冷たい感覚でした。
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他社の若手Aさんのフォローという仕事
在籍期間が長くなるにつれて、現場ではチームリーダー的な役割を任せてもらえるようになりました。自社の後輩を見るのは、まあわかる。社内評価にもつながるし、後輩の成長は単純に嬉しい。
問題は、同じ現場に他社から出向してきている若手エンジニアが何人もいたことです。その中には、正直に言って基礎的なスキルが追いついていないまま現場に投入されている人もいる。仮にAさんとしておきましょう。
Aさんからコードレビューを依頼されるたびに、大幅な手戻りが発生していました。本来であれば、Aさんが所属する企業のリーダーがフォローすべき話です。ところが、その企業のリーダーは別チームの作業で手一杯で、こちらまで手が回らない。結果として、私がAさんの面倒を見ることになる。
冷静に考えると、これはかなりおかしい構造でした。Aさんをフォローしても、Aさんの会社が成果を出した形になる。私の所属会社の単価が上がるわけでもなく、私の評価が上がるわけでもない。それでも現場では「あの人が見てくれているから大丈夫」になってしまう。
責任だけが現場で積み上がって、報酬と評価はついてこない。この非対称性が、毎日ちょっとずつ蓄積されていきました。
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単価交渉は会社間の話、私には反映されない
年収はおよそ480万円。裁量労働制(年俸制)なので、どれだけ残業しても残業代は出ません。年俸を16分割して、12カ月分とボーナス4カ月分。ボーナスは評価次第で加算ありとはいえ、上ぶれの幅はそこまで大きくない。
SESという業態の構造上、私の単価は「会社間の契約」で決まります。客先と所属会社の間で、月いくらで決着している。現場で私がどれだけ貢献しても、その単価交渉は会社同士の話であって、個人の私にはほとんど反映されません。
それでも、若いうちは「経験を積んでいる時期だから」と納得できる部分がありました。30代に入って、家庭ができて、子供のことを考え始めると、納得は少しずつ削られていきます。
子供の進学が見えてきて、確信に変わった
最終的に退職を決めた一番の理由は、「このまま続けても、自分のキャリアが積み上がらない」という確信でした。それと、子供の成長です。
子供が高校、大学と進んでいくにあたって、家族を養う給料の上昇見込みが立たない。これが、当時の私にとっては一番きつい現実でした。
SESの場合、自分の単価は一定金額を超えると大幅には伸びません。会社として収益を伸ばしたいなら、チームとして在籍する自社メンバーの母数を増やすしかない構造です。でも、中小企業で増やせるメンバーの数には限界がある。
つまり、私の所属会社で評価されようと思ったら、「自社からの参画メンバを増やす」しかない。けれども、それは私一人の頑張りでどうにかなる話ではない。結果として、自社内での評価も、給料の伸びも、見えにくくなっていきました。
現場で頑張っても、自分の評価にはつながりにくい。自社で頑張ろうとしても、構造的に限界がある。どっちを向いても、給料の天井が見えてしまう感覚でした。
退職を意識し始めた頃、求人サイトを開いたり、転職エージェントに登録したり、自分なりに次の道を探し始めました。
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退職を決めた日と、別業界への転職
退職を会社に伝えた日のことは、いまでも覚えています。長く一緒にやってきた現場だったので、引き継ぎには時間がかかりました。それでも、決めてしまえば気持ちは前を向いていた気がします。
転職先は、別業界のシステム管理部門でした。同じITといえばITですが、客先常駐ではなく、自社のシステムを守る側です。日々の業務は地味ですが、自分の組織の中で完結する感覚があって、「自分のために働いている」気がするようになりました。
何より大きかったのは、夢の中でテストケースを消化しなくなったこと。最初の数か月は、まだ夢の中で進捗会議をやっていた気がするのですが、しばらくすると消えていきました。眠ったら、ちゃんと眠れる。これが、こんなに大きなことだったのかと、後から驚きました。
給料については、年収ベースで大きく上がったわけではありません。ただ、残業の前提が違うし、自分の働きが自分の評価に直結する手応えがある。長い目で見て積み上がる感覚が、ようやく持てるようになりました。
これからエンジニアを目指す人へ
SES・客先常駐という働き方は、経験を積む入口としては有効な選択肢だと思います。複数の現場を経験できるし、いろいろな技術に触れられるのも事実です。
ただ、現場に流されるままに時間が過ぎていくと、気づいたときには「調整役」になっていた、ということが起こりやすい働き方でもあります。私自身がまさにそうでした。
キャリアの早い段階で、自分が「使われるエンジニア」になるのか、「育てるエンジニア」になるのか、「作るエンジニア」になるのかを、一度ちゃんと考えてみてほしい。三つのうちどれが正解ということではなくて、自分がどれを目指しているのかを自覚するかどうかが、後々大きく効いてくる気がします。
私がエンジニアをやっていた時期は、まだAIが今ほど身近ではありませんでした。それでも「自分の売りは何か」を考えなさいという話は、ずっと言われていた記憶があります。いまはAIの登場で、ただ手を動かすだけの作業はどんどん置き換わっていく流れにある。だからこそ、自分の強みを早めに見つけてもらえたらと思います。
「誰のために、何のスキルを積んでいるのか」を、忙しい毎日の中でも、たまには立ち止まって考えてみてください。私自身、もう少し早く立ち止まっていれば、と思うこともあります。
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編集部より
この記事が描くのは、頑張りが自分に返ってこない構造です。大手SIerを頂点に一次・二次請けと連なるSESの多層構造で、体験者は孫請けの末端にいながら現場のチームリーダーを担っていました。他社の若手をフォローしても成果はその会社のものになり、自分の単価は会社間の契約で決まるから個人の貢献は処遇に反映されない。裁量労働制で月45〜60時間の残業をしても残業代は出ず、夜はベッドの中で障害ログが流れ、夢の中でテストケースを消化する。責任だけが現場に積み上がり、報酬と評価が追いつかない——子の進学を前に「給料の天井」が確信に変わり、社内システム管理側へ移った判断は、よく筋が通っています。
SES・客先常駐は経験を積む入口としては有効ですが、流されるうちに「調整役」になり、頑張りが評価に結びつかなくなることもあります。自分が何のスキルを誰のために積んでいるのか、忙しいときほど一度立ち止まって確かめてみてください。
困った時の選択肢
【40代・50代で、これからのキャリアの天井が見えてきたと感じる方へ】
「現場で頑張っても評価に返らない」「給料の伸びしろが見えない」——そんな手詰まり感は、一度きちんと棚卸しすると、次の選択肢が見えてくることがあります。「キャリフト」は40代・50代向けのキャリア相談で、これまでの経験を整理しながら、社内SEや別業界も含めた現実的な道を一緒に考えてくれます。転職ありきではなく、続ける選択も含めて相談できます。
→ 40代・50代のこれからの働き方を相談する|キャリフト(経験の棚卸しから)
そのほか、状況に合わせて選べる窓口です。
・20〜30代で、SESや客先常駐の働き方に迷いがある方は → 転職前提なしのキャリア相談|キャリート(自己分析・自分らしい働き方・22〜39歳)
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